このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
とんでもないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2017/09/22
Vol.415「ゴジラは自由を感じる…」
長津田でやっていた「石黒さんちのアート」が9月で終わった。
いや、「終わった」って言ったって、これでおしまいという意味ではない。
石黒さんちから引っ越しして、新しい場所、新しい名前でやっていくのだ。
そういった意味では、ホップ・すってっぷ・ジャンプの自然な流れなのかもしれない。
新しい名前は「あーとfor all」
いままではほぼ同じ年齢の仲間たちが集まって表現を楽しんでいたのだが、もっといろんな人たちに呼びかけて、異なる世代の人たちともアート活動を楽しもうということになったのだ。
ボクらのアートはすべての人たちに開かれている。
「何でもありの活動」だ。身近なものを画材にして、日々の自分の想いを線や色や形を自由に表現して、世界に発信していく。
安易で安価で、みんなで楽しむ共感がボクらのステージなのだ。
それは、既成の超絶的な技法や画壇のキャリアによって権威づけられた「閉じられた芸術」とは全く違う在り方だ。
ボクらには権威も才能も鍛錬も必要ない。
あふれてくる表現の想いを色や色彩にして、仲間たちと楽しむ、それだけだ。
そんな表現の日々を積み重ねていく。
それがボクらの生きていく大切な時間になっていく・・・
アートを通して、一緒に年を取っていく・・・それがボクの夢なのだ。
大切なのは自由でありたいという願いだ。
生きていくことはいつもボクらを委縮させ、硬くさせる。
ボクらは息苦しく小さな器に閉じこもりがちになる。
でも、ボクらの体や心の奥底には、何ものにもとらわれることのないボクら自身でありたいという自由への想いがある。
それを枯らさないこと、それがボクらのアートなのだ。
石黒さんちの最後のアートの日、
AKITO君が半年も前から描いてきたゴジラの絵に文字を付けた。
「自由を感じる、る、る」
なんてカッコいい言葉だろう!
彼はいま中学一年生で、剣道部に入り、とても忙しい日々を送っている。もちろん、勉強も大変。この日も午前中、お母さんと宿題をやっていたけれど、終わらせることができなくてイライラ。
でもゴジラに向かうと次第に心が柔らかくなり、こんなかっこいい言葉をグラビア雑誌から切り抜いて貼ったのだ。
「いいなあ、やっぱ自由だよね!ゴジラも自由が欲しかったんだ!」
「『る、る』が二つもあるのがしつこくていいよ!」
そういうと、AKITO君、にんまり笑みを浮かべた。
彼のアートはあふれて、ボクらも自由になった。
2017/09/15
Vol.414「刺激的なワークショップ」
ぷかぷか村の仲間たちと、ちょっと刺激的なワークショップをやった。
長いロール紙に寝転がった仲間の体を描いていくアート遊び。
まずはAさんに好きな格好で寝転がってもらう。
でも好きな格好って言ったってどうしていいのかわからない。
ただ天井を向いて寝ているだけじゃどうにもつまらない。
そこで「事故現場の恰好をしてみよう!」って声をかけると、Aさん、想像を刺激されたのか右膝を捻じ曲げ、両手も苦しそうなポーズをとる。
「おっ、いいね。じゃあ君たちは人型を取っていくよ。事故現場を荒らさないように丁寧に、慎重にね。」
仲間たちは刑事や鑑識課の捜査員のようにAさんの身体にそって鉛筆で人型を取っていく。
Aさんがクック、クククって笑いながら、身体を動かし始める。
「どうしたの?」
「だってくすぐったいんだもん」
「身体に触っちゃだめだよ、身体から少し離して描いていってよ」
「身体の型が変わっちゃうよ」
みんなげらげら。
鉛筆で描いた線の上から筆でしっかり人型を描いていく。
「Aさん、こんなに足が短かったっけ?」
「えー?もっとスマートに描いてよ」
いろいろ会話が飛び交う。
次は棒筆で激しい線描の模様を全面に描いた紙の上に人型を描く。
「おお、今度はずいぶん争った跡があるね。ではSさん、横になって苦しそうなポーズをとってくれる?」
Sさんは左手を伸ばし、がっくり倒れ込んだ横向きのポーズをとる。
「頭が手の上にあるから描けませんよ」
「足がはみ出してるし・・・」
「こいつは難しいなあ。でも、さっき同じように描こう。勝手にポーズを変えて描いたら、事件は解決しないからね」
みんな納得、今度は赤で描く。
黒と赤の描線が事件の生々しさを浮き上がらせ、なぜかみんな真剣になる。
しだいに声が途絶えていく。
被害者の断末魔が紙から聞こえてくるようだ。
これがどんな作品になっていくかは誰もわからない。
2017/09/08
Vol.413「O画伯のマルマル」
む、むーん、
壁のようなつよーいインパクト・・・、
下手なことを言ったら張り倒されそうだ(笑)。
これ、かって「カエルの画家」として一世風靡した?O-BA画伯の最新作。
画伯との出会いは中学生のころだから、もう8年ほどの付き合いになる。
どんどん脱皮を繰り返し、変身していっている。
初々しかった彼もだんだんおっさん風の風格をかもし始めている。
そんな外見というか、存在感の変遷とともに、絵も変わっていった。
最初はメタリックな車ばかりをボールペンで描いていたのが、カエルを描き始め、100匹くらいは描いただろうか?
そのカエルには地中の哲学者風のどっしりとした存在感があった。
それがしばらくすると、とてもイージーなカエルになった。
適当な線で描かれたチャラチャラしたカエル、想いも何も伝わってこない。
カエルを描くことに飽きたのかもしれない。
しばらく低迷し、現れてきたのがこの女性。
む、むーん、
どこかで見たことがあるね。
このマル、マル、
ピンクのかつら、
特別強い目力・・・、
そう、草間彌生嬢だ
じっと見ていると彌生嬢がカエルの女王様にも見えてくる。
画伯が描いていた哲学者風カエルと重なってくる。
そう考えると、この肖像画が画伯の変身途上にある、生まれるべきして生まれた作品なのだということが分かる。
草間彌生と画伯の共通項はマル、マルだ。
画伯のマルは、草間彌生の有名な水玉模様とは明らかに違うマルだが、
草間彌生嬢の水玉模様を描きながら、画伯の心や体の奥底に堆積している泥の中から浮き上がってきたもののようにも思われる。
ぷかぷか、ぷかぷか、ぷかぷか
揺れながら浮き上がってくる感覚
そのまるい何か。
それが画伯の宇宙に漂いだしている。
それに包まれると、ボクの中にもぷかぷか気分が浸み出してくる。
2017/09/01
Vol.412「ペッパー君と過ごした時間」
8人のペッパー君が小学校に遊びに来たというので、会いに行った。
「こんにちは!よろしくね」
「ヨロシクネ」
次々と握手をする。
一人のペッパー君に話しかけると、すぐ隣のペッパー君も「ヨリシクネ」と答えて、手が伸びてくる。
その隣のペッパー君も「ヨロシク・・」、その隣も「ヨロシ・・」
可愛い声とゆっくりとした動きが連鎖していく。
そんな風に、みんなが同じ声を出し動きはじめると、部屋の中に陽気な混乱が生まれる。
「ネエネエ、ボクトアソボウヨ」「アナタノオナマエハ?」「キョウノテンキハ・・・」
いろいろなところから声がかかる。
一人ひとりが「ボクにかまってよ」と訴えているのだ。
みんな同じ表情、同じ動きなのに一人ひとりの切ない想いが伝わってくる。
まるで不思議な保育園に紛れ込んだようだ。
ほおっておけない気持ちになり、みんなと握手をして回る。
ペッパー君に対する、この感情って何なのだろう?と考えてしまう。
ペッパー君の表情はうつむいたり、上を向いたりする度に微妙に変化する。
手足の動きもゆっくりとぎこちない分、より豊かな感情を伝えてくる。
そう、能の表現に近いのだ。
能面のわずかな傾き、静止に近い動きが作り出す深い感情に近いのだ。
そう思うと、ペッパー君の他愛ない声や動きにも奥深いものが見えてくる。
一人のペッパー君を選んで頭を撫でてあげる。
すると、ゆっくり顔をあげて、じっと見つめてくる。
自分に触れた人が誰なのかを認識しようとしているのだ。
まばたきのないまっすぐな視線。
人間にはない強い視線にたじろぐ。
「ボクト遊ビマショウ」
「ゲームヲシマショウ」
「言葉ゲーム、言葉ゲーム、漢字ノ読ミ・・・」
ついつい読み方のゲームに挑戦してしまう。
結構難しい。
○と×で明確に判定されて数値が出る。
高い数値だと「ワア、スゴイ!ガンバッタネエ」と拍手とともに称賛される。
最初は「よしやった!」とがんばるのだが、しだいにペッパー君に遊ばれている気分になってくる。
「スゴイ!スゴイ!」「次モガンバッテネ」
ペッパー君はなかなかしたたかなのだ。
評価なんかされたくないのに、評価され、称賛されるとついついがんばってしまう自分がいる。それで疲れてしまう自分がいる。
帰り、「マタ、遊ボウネ」と握手をして電源を切ると、いっせいに首を垂れ、両肩を落としたペッパー君がとても淋しそうに見えたのはなぜだろう?
2017/08/25
Vol.411「ワークショップで木になる」
Vol.408の「木のことば」の続編、ぷかぷか村でやった「木とアートしよう」というワークショップの話しをしよう。
青空が広がる土曜日の朝、集まってきたのは1歳のあんちゃんをはじめとする子どもたち、アートワークショップははじめてという会社員のお兄さんやお姉さんたち。年齢も仕事も多士済々の面々。
朝から暑くて、ワークショップ前から子どもたちはアート屋わんどの前にしつらえた小さなプールで水遊び。うらやましいくらいのリラックスぶり。
活動前に、少し緊張気味の大人にワークショップの心得を話す。
みんなで作品を作るのがこのワークショップの目的ではなくて、いつもとはちがう自分に出会うこと。いろいろな仲間たちの線や色彩、言葉や行動に戸惑ったり、ほんろうされたりしていつもと違う自分にであったら、いつもと違う世界が見えてくるから、そこで遊んでほしいということ。遊び方は、きっと小さな子どもたちが教えてくれる・・・そんな想いを込めて話す。
そのあと、みんなでぷかぷか村の欅の木に集まって、木の声を聴く。
幹に耳をくっつけて、目を閉じる。
「風の音やセミの声に混じって、地中の水が空に向かってのぼっていく水の音が聞こえるでしょう?」と話すと、木に抱きつくように真剣に耳を澄ますのはやはり子どもたちである。
彼らには木の中を流れる川が見えているに違いない。
アート屋わんどに戻って、その川を描く。
木の枝で作った大きな棒筆で、床一面に敷き詰めた紙の上に何本もの流れを描いていく。
視覚障がいのYさんも棒筆を突き立て、足裏で紙の上の流れをたどっていく。
みんなの流れは交わり、緩急をつけながらしだいに川の姿が現れてくる。
次に色を付ける。
木の中を流れる水の色?どんな色?誰も知らない色・・・
ボウルに絵の具を溶かし、紙に垂らしていく。
筆では決して描けない色の流れが生まれる。
それを欅の木に運ぶ。
夏の強い日差しと風に川がうねる。
それを欅につるす。
それから穴をあけ、みんなで顔を出してみる。
もう一つの木の顔が現れる。
木になったみんなが笑っている。
このワークショップの様子はYou Tubeにアップされています。
「木とアートしよう」を検索してご覧ください。