2013/01/22

Vol.55 雪の日



1月14日、私の住んでいる神奈川にも雪が降った。
柔らかな音を立てていた冬の雨が、
いつの間にかみぞれに変わり、
強い北風に白い雪片が舞った。
雪はみるみる積もり、
生垣の植え込みや軒下の地面の黒が
視界を新鮮なモノクロの世界に変えていった。
生活の音や匂いも消えて、
雪だけが静かに降り続いている。
見ていると、
雪にも呼吸のようなリズムがあるのに気づいた。
それは、意志とは違った、心を揺さぶるようなリズムだ。
遠くから訪れてくる、不思議な強弱。
それは、仲間たちの絵筆から生まれる強弱の線を思わせた。
それに誘われて海辺に出た。
暗い空から降ってくる雪は、
私のカラダの中に眠っていたリズムを誘導するように、
私を快活にさせた。
歩いていると、
ズンチャカ、ズンチャ、do,do,do
何だか分けのわからない音楽があたり一面に生まれ、
辻堂のネコたちや境川に捨てられた自転車やパラソルや
空き瓶、海辺のいろいろな漂流物・・・
私の中に眠っているモノたちが雪野原で踊り始めた。
おお、みんな集まってきている。
子どものころに失くしたオモチャ、犬、少年雑誌、
いろいろなものも踊っている。
夜、
雪はやんだ。
朝、
雪野原には不思議な足跡が一面、輝いていた。



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2013/01/18

Vol.54 出会いの絵本



フェースofワンダー絵本のプロジェクトが始まった。
プロジェクトと言ったって、そんな大それたものじゃない。
フェースの活動やくすくすミュージアムを通して出会った
絵本を愛する人が集まって、
フェースの仲間たちの作品を素材に絵本を作ってみようという試みなのだ。
第一回目の話し合いが1月6日に行われた。
集まったのは、保育園の先生や特別支援学校の先生、
図書館で働いている人、染織家、絵本作家など、
フェース0fワンダーやくすくすミュージアムがなければ、
まず出会うことのなかった人たちだ。
これまでも、一人の作品を絵本にするということはあったけれど、
今度は、たくさんの仲間で絵本を作る。
これって、簡単にできそうだけれど、案外手ごわい。
仲間の作品の個性、主張、存在感が強くて手におえないのだ(笑)。
本屋さんに並んでいる、売れ筋の可愛くて、きれいな絵本はまず無理?
で、まず浮かんだのは、そんな個性を響き合わせて、
フェースofワンダーならではの
ノイジーな交響曲風の絵本にしようってこと。
きれいでも可愛くもないけれど、
生きてる声が響きあってればいいんじゃないって感じ。
フェースの仲間たちのなぐり描きやいたずら描き、
それからプロ?のイラストなんかが
素材として対等に混在し、
何か不思議な豊かさやエネルギーが生まれれば最高ねって感じ。
そんなものがもしかしたら生まれるかもしれない。
そんなものを生み出すために、
私たちもフェースの仲間も出会ったのかもしれない。
そんなイメージを共有しながら、
まずはフェースの仲間たちが描いてきたカエルを素材に
絵本を作ってみようということになった。
「100万回生きたねこ」みたいに、パワフルに
フェース蛙の大合唱「歓喜の歌」でも響かせてみたい!



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2013/01/15

Vol.53 描くこと



フェースofワンダーにはいろいろな仲間が絵を描きに来る。
年齢、職業もまちまち、生活スタイルも違う。
そんな人たちが、一つの時間、場所に集い、
絵を描いている。
フェースがなければ、出会うこともなかった人たちが、
同じ一つの時間、一つの場所で表現に向かっている。
例えば、小学生と還暦を迎える一人暮らしの女性が隣に座り、
女性は生活保護の報告を市役所にしにいって疲れ切った話をし、
小学生は置時計を大切そうに撫でては、少し甲高い声をあげ、
自分の絵に戻っていく。
その向こうでは、40歳になる男性が
体調を崩し、震える手に色鉛筆を持って机にうつぶせいている。
ここでは、絵を描くことと生活の時間が混じりあって流れている。
決して器用ではないから、みんな生活の重さを背負って集まってくる。
だから時には、その重さに耐えきれなくなり、
大声をあげたり、走り回ったり、モノにぶつかったり、
それでも心のどこかで、必死に絵に向かっている。
フェースの仲間たちは、そんな風に波立つ仲間たちを制止しようとはしない。
そのまま黙って受け入れる。
そんな彼らを見ていると、
なんだかすごく豊かな空間がここにはあるんじゃないかと思ってしまう。
もしかしたら、
描くってことの中には、
生きるってこと、
自分であろうとすること、
人は人であってほしいということ、
そんな大切なものがいっぱい詰まっているのかもしれない。
荒々しい一本の線
かすれたような淡い線
小さなマス目に塗りつぶしていく色彩
それらが、彼らや私の生きているあかしなのかもしれない。



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2013/01/11

vol.52 アートはじめ



ことしのフェースのアート初めは
1月5日だった。
とても寒い朝、
活動場所の大田区の廃校となった小学校に向かう。
池上線の駅を降りて、7分くらい。
途中にある大きなサボテンもうなだれて元気がない。
「やっぱり冬はだめだね」と声をかける。
二階の部屋に入ると、暖房を入れ、
窓辺から運動場を走るサッカー少年たちを見おろす。
暖かくなってくる頃、仲間たちが集まってくる。
この日は、みんな
「あけましておめでとうございます!」と大きな声で挨拶する。
あとは、いつもと同じ。
制作中の般若心経のアート文字を黙々と描きはじめる。
年があけると、心身の調子が悪くなるKさん。
マスクをしてうつむき、数分間じっと固まっている。
とつぜん顔をあげ、大きく目を開け、寄り目になる。
「さ、やろうか!」すかさず声をかける。
すると、おもむろに色鉛筆で花のようなものを描きはじめる。
細かく震える手からエネルギーのようなものが
流れはじめ、彼本来の表情が戻ってくる。
Sさんは、
うんうん、唸りながら「波羅蜜多」の文字に
模様を描きこんでいる。
みると、最初は○や△、波形の模様、
それが途中から京急線や東海道線の駅名に変わり、
それも尽きたらしく、唸りが大きくなった。
次は何を描こうか、アイデアが浮かんでこないのだ。
それが突然、よし!と決心したように、
織田信長、石田光成、明智光秀と戦国武将の名前に変わり、
それから大和ドラゴンボールテメウスとか武者ドラゴン、
サファイアドラゴンになって、
手のスピードはマックス。
最後は般若心経の文字になり、アート文字は完成!
「おお、これも立派な写経だなあ」と
私は感動を覚える。
一人ひとりが、自分のペースでアートの波乗りを楽しんでいる。
今年も始まったなあと、
少しうれしく感じたアートはじめだった。



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2013/01/08

vol.51 今年は何をしようか?



年が明けた。
といっても、何も変わったことはないのだけれど、
何となく、今年はどんなことをしようか、
目標めいたものを考えてしまう。
昨年は人に恵まれ、いい出会いがたくさんあった。
その出会いを大切にして、
希望の種のようなものを育てていきたい。
例えば、
フェースofワンダー絵本。
絵本は一人でも作れるけれど、
フェースの仲間たちや出会った仲間たちの作品や想いを
素材にして、
いろいろな音が響きあう、
コラボの絵本世界を作ってみたい。
それから、
「フェースofワンダーのワンダーな般若心経」(長い!)
ちょっと無理をしても、
5月のゴールデンウイークには、
フェース内外の仲間たちや保護者の方々と一緒に
出会いの感謝や喜びを込めたワンダーな世界を壁画に表現してみたい。
それから、
「ねっこのルーティ・epispode2」を仕上げること。
Rootyは、私の中では出産とか排尿とか老化といった
身体と結びついた自然現象のようなものになっているので、
とにかくRootyを外に出さないことには、
「私が私でいること」が困難になってしまいそうなのだ(笑)。
(イメージ的には結石という表現が当たっているかも?)
これも、一人の作業ではない。
翻訳業を始められた本田さんや絵本作家のパトリシアさん、
Bow Booksのドコドコさんらの後押しで
翻訳作業や電子書籍化も進んでいる。
やりたいことは、決して一人でできることではない。
それがこの年になってわかってきた。
みんなで、希望の種子を植えていきたい。
ことしは、そんな希望元年になればいいなあと思っている。



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