このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2013/02/08

Vol.60 冬の海辺で



私の仕事場は、
海辺から歩いて5分くらい、
丁度、江の島と茅ヶ崎の中間地点にある。
湘南のど真ん中だが、
こじゃれた喧騒から離れ、
潮風に混じって、
焼き魚の匂いやおでんの匂い、
廃品回収や物干し竿を売る巡回車のテープ音
迷路のように入り組んだ古い団地に
はためく洗濯物、介護センターの車、
海浜公園に日向ぼっこに向かう
おじいちゃん、おばあちゃんの丸い背中、
そんな生活の風景が当たり前のように広がっている、
今では貴重なエリアだ。
(もちろん、サンダル履きのサーファーは、冬でも未明から、
ボード片手に自転車に乗り、行ったり来たりしてるけれど・・・)
私は、時々、誘われるようにそこを訪れ、何かを確認しようとする。
何か?
それがよく分からないのだけれど・・、
一心に手を動かしたり、頭を発熱させたり・・・
とにかく疲れきるまでカラダ(と心)を動かし、
未明、虫のように生きている自分を発見したりする。
疲れると、巣穴から這い出て、海辺に向かう。
適当な砂の窪地を見つけ、火を起こす。
キーンと冷えた風に吹かれ、
澄んだ炎を見ていると、
取り返しのつかない悔恨も、
断たれてしまった想いも
まだ、手の届くところにあるような気がしてくる。
火の近くの砂に手を埋めると、
懐かしいぬくもりが伝わってくる。




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2013/02/05

Vol.59 想いをつなぐ仕事



「想いをつなぐ」というのは、
単にAとBをつなぐだけではない。
AとBがつながることでCに変わっていく、
そんな新たな創造をうながす大切な行為だ。
そんな行為を生業とする仕事は世の中にたくさんある。
例えば、子どもと未来をつなぐ仕事といえば、
教育もその一つだし、
私たちがやっている活動もその一端にあるのかもしれない。
翻訳は、
言葉によって表現されたものと世界の人々をつなぐ仕事だ。
前回、vol.58で紹介した本田孝之さんは、そんな仕事の魅力にひかれて
公務員から翻訳家に転身された人だ。
彼は「月那久(つなぐ)」という屋号を持っている。
翻訳以外にも地域を元気にする取り組みを始め、その想いを屋号に託したのだ。
彼によれば、
「月」は、そのような存在でありたいという自分像。
自分で光るのではないけれど、太陽に照らされ、
満ち欠けしながら人の目を楽しませる。
暗闇を照らし、潮の満ち引きを生み、人の身体にも影響する。
「那」は美しいとか穏やかという意味。
「久」は長く時を経るという意味。
この三文字を組み合わせた「月那久(つなぐ)」には、
翻訳を通じ日本と世界をつなぎ、
地域活動を通じて、ヒト・事業者をつなぎ、
未来を子どもにつなぎたいという
本田さんの思いが込められているのだ。
「地域の魅力を、言葉にして発信する作業なので、
地域の魅力を翻訳するという意味では、
自分の中では翻訳者なのです。」
私よりも20歳も若い彼の言葉を聞くと、
やっと日本にも想いをつなぐことを仕事にしよう
という人が現われてきたのかと嬉しくなってしまう。
彼も「ねっこのルーティepisode2」に出てくる、
想いをつなぐ不思議生物ソラノの一人なのかもしれない(笑)。
*「月那久」www.facebook.com/TsunaguShonan



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2013/02/01

Vol.58 微生物のソラノは女?男?



「ねっこのルーティepisode2」の英訳を
お願いしている翻訳家の本田さんからメールが来た。
「地上に登って行ったゼーミン(蝉?)の
手紙を地下のルーティに届けるソラノ(微生物)は、
英語表記でhe、hisにしますか、それともshe、herにしますか?
ソラノは、性別を超えた微生物だと、
お聞きしていますが
itだと無機物、無生物的なイメージになり、
英語的にはそぐわないのですが・・・」
というのがメールの趣旨。
ん?!
あらためて言葉の感性の違いに驚く。
考えてみれば、フランス語でも太陽は男性名詞、月は女性名詞だ。
自然物に人間的な性別をつける言語は、
いかにも西洋的?な人間中心主義の発想のようにも思える。
時制や主語、目的語などの文法も、
きわめて論理的な明確さを要求される。
一方、日本語は極めてあいまい。
主語も時制も、いつのまに消えたり、転換したり、
なんでもありの融通無碍の言語だ。
「ねっこのルーティ」は、
そんな日本語の面白さをフルに生かして描いているので、
翻訳はとても難しいだろうと思うと本田さんに頭が下がる。
Episode2に出てくるソラノは、想いをつなぐ不思議な微生物だ。
青空の破片を背負い、
何億万匹ものソラノに分裂、増殖して地上から降りてくる。
まっくらな地下にソーラーパネルのように青空を作り、
死んだ鳥の魂が空に戻る姿を、
そこに映し出す。
もちろん自己増殖するのだから男でも女でもない。
できればそんな超生物的なイメージを強調してもらいたいので
答えに窮した。
言葉の壁は厚いのだ。
微生物であるソラノは男か女か?
生物学的に言えば、
そんな設問自体がナンセンスであることは明らかだけれど、
言葉として表現するとどうなるのか?
いろいろ考えてしまう。
そして、
人間の感性や想像力を、そうした言語を媒介にして伝える
翻訳家という仕事の大切さを想った。
(次回に続く)



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2013/01/29

Vol.57 静止するもの、動きつづけるもの



仲間たちが描きつづけている
般若心経の文字に囲まれた生活をしている。
散らばったか紙片を手に取り、
これはなんという文字だろうと考えても、
あまりにもデザイン化されて読めない文字もあれば
おっ!これは「羅」だなと、しっかり書になりきっているものもある。
絵の中に文字が埋もれてしまって、
3次元文字を読むように、
目を細めてじっと見ることを要求している文字もある。
経文として、一つひとつの文字に意味はあるのだろうが、
私には仲間の描いた文字は、空を仰ぐ人や地を走る獣だったり、
湧き上がってくる風や突き抜けていく声のように見える。
これらは、言葉の形と意味を正確に追う写経とは違った文字だ。
私には、写経の文字は、
想いを形に閉じこめ、静止させようとする文字に見える。
一方、仲間たちの文字は、
形から逃れ、動きつづけようとする文字に見える。
写経のように、白地に規則正しく配置された世界では、
仲間の文字は生きられない。
彼らが生きる世界は、
どのようにしたら現われてくるのだろう?
冬の陽射しが入る窓辺で
文字を切り抜いていると、
文字たちは影をまとい不思議な踊りを見せ始める。
何かが現われたり、消えたり、
絡みあったり、ほどけたり、
文字は形ではなく、自在な動きを繰り返している。
それは、私には手におえないものだということだけは痛いほどわかる。
日が落ちると、
これらの文字を落ち葉のように掻き集め、
火をつけてみたいという誘惑に駆られる。
どんな炎が生まれるのだろう?



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2013/01/25

Vol.56 見えないものがつながっていく



絵本作家のパトリシアさんより、
フェースofワンダー絵本の一冊となる絵本の原稿がおくられてきた。
小さな緑カエルが、お母さんとお父さんを探す小さな出会いの旅。
その中にとても心に残る会話があった。
緑カエルはムシウシという不思議な生き物に会い、大切な事を聞く。
「私は牛ですが、前は虫でした」
「それはどうして?」と小さな緑カエルは聞きます。
「みんな、つながってるよ」と虫の頭の牛が答えます。
「みんな、星くずから生まれるよ。そして、星のように成長して、変わっていくのさ」
「ムシウシさん、いろいろ知っていますね!」
「わたしは、いろんなものを見てるよ。本当のことしか言わないよ。私が聞いたことは、正しい時が来るまで、誰にも言わないよ」

生まれたばかりの緑カエルと、長い時間を生きているムシウシは
こんな会話をする。
ちょっと、星の王子様をほうふつさせる哲学的な会話だ。
わたしは、「みんなつながっているよ」というムシウシの言葉に、
フェースの仲間たちやその仲間たちと共に生きようとしている人々を想った。
彼らと共に私も生きようとしている。
私たちをつなぐものは何だろう?
彼らの作品?
彼らの言葉?
たぶん、それだけではないだろう。
彼らとともにあろうとする想い?
そこにある希望・・・?
見ることのできないもの
名づけることのできないものが
私たちを結びつけているのだろう。
「想いは、想いを呼ぶよ」
これは、昔
辻堂の突堤で、ネコが私にささやいた言葉。
パトリシアさんの原稿は、そんなネコの言葉も思い出させてくれた。



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