このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2013/07/19
Vol.105 川ぞいの時間
どんな流れも海に向かう。
足もとの小さな水も姿を変えながら海に向かっている。
たった一つの譲れない意志のように、
水が海に向かっている様子を想像してみると、
身の回りの見慣れた風景も変わって見えてくる。
木や石や生き物と会話をする水の話や
生や死を編みこみながら流れる水の時間なんかが見えてくる。
ローカルな話になるけれど、相模原、町田、大和、藤沢といった街を抜け、江の島まで流れる境川という川も、そんな不思議な時間をボクに見せてくれる。
川にそってバイクロードがあり、ときどきその道を自転車で走って海にでる。
アップダウンの少ない道で、周りには小さな鎮守の森や水田もある。
二時間弱の走行だけれど、トンボやチョウが自転車のペースに合わせて飛んだり、カナブンがまっすぐ顔にぶつかってきたり、退屈することはない。
風の通る道で、いつ走っても向かい風の中を走っている気がする。
ゆっくりした雲の流れによって、川は微妙に表情を変える。
そんな中を走っていると、いろいろな時間が浮かんでくる。
昆虫採集に出かけ、雨宿りした木陰の時間
雨の中に立ち上ってくる土の匂い
海水浴場に向かう坂道の潮風の空
祖母が死んだ夏の朝
井戸から取り出した冷たい西瓜
コスモスの種をまいた薄曇りの午後
いつも風が吹いていた。
川ぞいの道を走ると、忘れていた時間がとつぜん浮き上がってくる。
過去ばかりじゃなく、いま抱えているいろいろなことも浮かんでくる。
それから、20年くらい先のことも現れてくる。
(ときどき、ボクの死後の光景もね)
脈絡はない。
寸断された時間の映像が、静止することなく組み上げられ、崩壊し、流れていく。
それらが何をボクに伝えようとしているのか、
ボクには分からないけれど、
それらも海に向かっているのだという想いははっきりしている。
川ぞいの道を走ると、ボクも海をめざしている小さな水の気分になる。
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2013/07/16
Vol.104 夕暮れ、泣きたくなるような貧
最近、一冊の本を片手にフェースを巡ることが多い。
その本は2001年に茅ヶ崎市美術館で出した「生きた書いた 井上有一展」というカタログだ。
有一の代表作ともいえる「貧」や「愛」といった書や制作風景などの写真が掲載されている。
「きょうのまねきねこ102」で紹介した「地をつかむ井上有一」のような地べたにへばりついて書いている写真や無造作に書を抱えて、陽射しの中に立っている後姿の写真は、有一のアート魂が写し取られたような凄さがある。
そんな彼の書や写真を見ると、ボクは有一とフェースの仲間たちは、同じアートという土の上に手足をつっぱって生息している生き物のような気がする。
で、この前はHさんに「貧」を描いてもらった。
Hさんは、最初は、気軽にさらさらと「貧」という文字をオレンジ色で書き、鳥とか陽射し風の模様を加え「どうですか?」と聞いてきた。
「んー、頭で描いていない?有一が怒るかも?」
「でもー、こんな風に文字を描いたことないから、どうしたらいいんですか?」
Hさんは若い頃、アメリカのアートスクールに留学していた人なので、結構イメージや画法を考えて描く人なのだ。微妙なアートの会話もできる。
「貧ってどんなものを思う?貧しくって、生活が苦しいとか・・・有一は質素とか自然に暮らすっていうイメージで書いてたらしいけれど、でも本当は、校長なんかになって社会的地位もできて、己を見失わないために、緊張感を持って生きるために貧を書いてと思うけれど・・・別にHさんが有一の貧をまねて書く必要はないよ。自分の貧を筆にこめて思いっきり描けばいいんだから。」
「僕は、やっぱり貧って苦しさかな。生活苦や孤独感で夕暮れ、泣きたくなる。
これからどうなるんだろう、そんな不安・・・」
「じゃあ、それを書こうよ。その苦しさを力いっぱい紙に刻むように描いたら?有一の貧だって、のたくって、もがいて苦しんでるよ。」
そんな会話の後、Hさんは目を閉じて、じっと呼吸を整えている。
描きはじめるきっかけが見つからないようなので、声をかける。
「そのまま、目を閉じて描けば?泣きたくなるような貧!文字にならなくたっていいよ。不安、悲しさ・・・それを筆に流し込めばいいんじゃない?それがHさんの貧だよ!」
Hさんは一気に描きあげる。
夕暮れ、泣きたくなるような、Hさんの貧がのたくっている。
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2013/07/12
Vol.103 ドンドン大きくなる野菜
フェースで描きはじめた野菜。
少しずつ大きくなりはじめた。
最初は野菜の写真やカードを見て、おそるおそる手先で描いていた野菜がいまではほぼ紙面を制圧!
イキイキした生命力も宿し始めた。
んー、なぜだろう?
一つ分かったのは、やっぱり既成の写真やカードは高級野菜の商品と同じ。
ナスはふっくら卵型のナスらしい形。
きゅうりも、ねじ曲がったものじゃなく、まっすぐ伸びた形。
そんな優等生野菜しか載せていない。
やっぱり、モデルにはならないね。
そこには何のパワーもない。
で、ボクはなんども「ぐっと、思いっきり大きく!形なんか気にしない。」仲間の描いてる後ろで叫び続けた。
すると手先でこちょこちょと小さく描かれた野菜たちの表情が変わってきた。
仲間たちは、ひじや肩を動かし、描線にも力がみなぎりはじめた。
「うわあ!すごいぞ!」「んまそうな野菜だなあ!」
ボクは大声を上げて喜ぶ。
色もどんどん自由に変わる。
「おっ、苦そう!」「こりゃ甘いだろうなあ!」
仲間の後ろで騒いでいると、
「うるさい!向こうへ行って!」叱られた。
で、すごすご引き下がる。
その時の気もちったら、野菜を食べる自分が虫になったみたい。
完熟していく野菜の果汁を腹いっぱい食べようとしている青虫が、割りばしで挟まれ捨てられるような、割り切れない気持。
どうしてだよう?やりきれない!理不尽だぞ・・・・
その時、ボクにも虫たちの気持ちがわかる。
虫にも成長する野菜にときめく権利はあるよなあと思う。
で、ボクは仲間たちにそっと近づき耳元で囁く。
「このトマトに青虫やアリ君たちがいると、面白いかも・・・」
「葉っぱをバリバリ食べて元気いっぱいなんだよねえ」
暑い夏の陽射しの中で、いろいろな虫と野菜がぐちゃぐちゃ動き回っている世界。
そんな絵こそが「フェースの野菜じゃないかあ?」と、ボクは勝手なことを想うのだ。
仲間たちの野菜に虫たちが現われるのも近そうそうだ(笑)。
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2013/07/09
Vol.102 海辺のベンチ
海に向かって、ベンチが一つ。
なぜか時々移動する。
だから未明に海辺に出ると、
きょうはどのあたりにいるのかと無意識で探している。
(頭を垂れた犬が波打ち際を歩いていく)
海辺のベンチには、波や潮風が無数の痕跡を残している。
だからそこに座ると、
昔のことがとめどなく湧き上がってくる。
時間は一方的に過ぎていくものではなく、
繰り返し波のように現れ、
なつかしさや悔恨の波紋を残していく。
(防砂林の中でネコが海を見ている)
海辺のベンチに座ると、
カラダの奥に閉ざしていた窓が開く。
水平線がカラダの中をひろがっていく。
潮風が吹きぬけていく。
何もしない。
何も考えない。
(空を飛ぶトンビの影が砂に映っている)
海辺のベンチに座ると、
いろいろなものが通り過ぎてゆく。
いろいろなものだったものが通り過ぎてゆく。
海辺のベンチは、
空の果て
海の果て
町の果てに
ぽつんと置かれた時間のようだ。
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2013/07/05
Vol.101 地をつかむ井上有一
「これを描いてくれませんか?」
ボクは久しぶりにフェースに絵を描きに来たTaro画伯に古いモノクロ写真の掲載された美術カタログを差し出した。
T画伯は結構、自分の描きたいものにこだわる人だから、拒否されるかなと思っていたのだが「はい!いいですよ」とてもすっきりした答えが返ってきた。
それから、すぐにスケッチブックにボールペンで刻み込むように写真を模写していった。
それは上半身裸の井上有一が床に広げた紙に文字を書いている、1959年撮影の有名な写真だ。
右手に持った大きな筆を紙に突き立て、掌をひろげた左の指は虫のように紙の上を這いだそうとしている。深く垂れた頭は、哭いているようにも、祈っているようにも見える。
すみをたっぷり含んだ筆先から吐き出されたような墨跡は、有一が放つ生命力の軌跡のようだ。(この頃の有一の書き方を海上雅臣は「谷蟆(たにぐく=ヒキガエル)のように身を伏せて書く」と言っている。)
ボクは、T画伯はフェースの仲間たちの中でもとびぬけて筆圧が強く、自分の明快な世界から決して逸脱しない最強?の人なので、そんな彼が有一をどう描くのか見てみたかったのだ。
Taro画伯はいつものように、迷いのない手の動きで描いていく。そこから生まれる明快な線は有一の線とは対極にある線だ。5分ほで、両手両足を折り曲げて、紙に這いつくばった有一の全身と床に散らばった書が描かれる。
とてもシンプルで、ぬり絵の下絵のような線描。
鼻歌混じりに塗り始めた色もカラフル。
エメラルドグリーンの中に有一が灰色の手足をひろげている。
紙の色はなんとオレンジ!
有名な有一の「貧」という文字が真っ赤な紙に浮かんでいる。
ん?んんん・・・、ボクはそのポップな有一像に脱帽する。
「できましたあ!」
ボクが写真を撮ろうとすると、「ちょっと待ってね」
さらに何やら細かな文字を描き足した。
見ると、なんとそこには「中島くんが体重を計る」と描かれている。
画伯は裸の有一を「体重を計る姿」だと思って描いていたのか?!
それにしても、こんな有一像は見たことない。
恐るべし、Taro画伯!
「力と力のぶつかりあい」と自分勝手な期待をしていた私を、
画伯はものの見事に粉砕してくれたのだった(笑)。
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