このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2013/08/06

Vol.110 絵は水のように静かに広がる



7月中旬、蒸し暑い陽射しの中、久しぶりに鎌倉を歩いた。
蔵まえギャラリーの店主佐野さんと藤沢でフェースのようなアートスペースを作りたいと考えておられる山北さんと私の三人。
ふうふう、汗をかきながら着いたところは、鶴岡八幡宮の隣にある「さかい内科クリニック」。そこの待合室の壁に、フェースの仲間の作品を飾っていただけるということで、三人で展示スペースの確認に訪れたのだ。
午前中の診療を終えたばかりのDr.酒井太郎先生が白衣姿で私たちを迎えてくれた。
6年前に建てられたという院内の壁には、ピクチャーレールがつけられ、小さなギャラリー風の空間になっている。小さな作品なら20点ほどの作品展示が可能だ。
「ここはほとんどが予約の患者さんで、大体一カ月から二カ月に一回、定期的に診療に訪れるので、その期間飾っていただいて結構です。でも患者さん以外は入れないので、多くの人に見てもらうというよりは、患者さんにゆっくり見ていただくということになります。」若い酒井先生の丁寧な言葉は、ボクの展示イメージを深いところから揺すぶった。
作品展というと、一人でも多くの人に見てもらいたいというのが出展者のいつわらざる気もちだが、ここのギャラリーは不特定多数の人には閉ざされた空間だ。
そこに仲間たちの作品を置くということは、どういうことなんだろう?
どんな顔をして仲間たちの作品と患者さんたちは、一か月、向き合うのだろう?
患者さんの心と交流ができる作品ってどんな作品なのだろう?
いろんな疑問がわいてきて、展示のイメージがまとまらない。
仕方なく、疑問は疑問のままに展示作品数と展示期間を決めた。
それから、酒井先生と少し話をした。彼はアクティブなお医者さんで、地元の鎌倉でも様々な市民活動にかかわっていることは聞いていたが、国境を越えた医療支援にもかかわっていることを知った。ミャンマーの無医療地域に診療所を作り、年に一回ほど活動状況の調査と診療支援に行っているのだという。
「あしたから、現地に入るんですよ。」気負いのない彼の言葉に、ボクは30年ほど前、毎年のように電気や水道もないフィリピンの山村や漁村に入り、現地の子どもたちと過ごした夏を思い出した。もう、あのころの子どもたちと会うことはなくなったが、酒井先生の活動が、あのころの若かったボクの気もちと重なって、今も息づいているような気がした。
病院を出て、鎌倉の裏道を抜けながら、「絵が結び付けてくれているんだよなあ」とあらためて酒井先生や待合室のギャラリーを思った。
閉ざされた空間だからこそ、かえって色彩や線描の美しさは見えてくるかもしれない。
診療を待つ時間があるからこそ、仲間達の作品は患者さんの心に届くかもしれない。
たった一本の線、描きなぐられた一筋の色彩の作品も患者さんと何かを語り合えるかもしれない。
そんな想いが湧いてきた。
「きょうは、そんな出会ったこともないギャラリーと出会ったのだ」
そう思うと、水のように静かに広がり続けている仲間たちの絵のチカラに頭を下げたい気持ちになった。






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2013/08/02

Vol.109 心を元気にしてくれるメール



フェースの仲間とは時々メールでやり取りする。
ほとんどは、事務的な確認なのだけれど、時にああこんなことを考えているのかと心を打たれるメールが送られてきたりする。
梅雨があけ、蒸し暑い日が続き、やっと雨が降った朝、
Hさんからメールが来た。
「明日、町田のフェースは開いていますか?開いていたら行きたいのですが?(絵文字)」
Hさんからは一週間ほど前、いままで自宅でやっていたアートの時間をやめたいという連絡があった。一緒に描いている連れ合いのYさんが絵を描いていると、子どもと遊ぶ時間が取れず、気持ちが不安定になるからやめたいのだと言う。
暗い声だった。
HさんもYさんも統合失調症と闘っているご夫婦で、いわゆるアラフォー世代。小学五年生になった自閉症のN君との三人暮らし。家族の時間も大切にしたい。絵を描いている時は楽しいのだけれど、がんばればがんばるほど描かなくちゃという気持ちと子どもとの時間を犠牲にしているという罪悪感がぶつかり合い、生きていくことも苦しくなるのだという。
私は黙って聞くしかなかった。
HさんもYさんも絵を描く時間を大切にしていることは、分かっていた。でも、思いつめてしまうと、描くことと生活することのどちらを取るかという二者択一にどうしても自分たちを追い込んでしまうのだ。
Hさんたちの生活とフェースの活動がクロスする。本当は描くことも生活することの一部で、生きることの喜びを実感するための活動のはずなのに、対立してしまう。
Hさんの思いつめた言葉は、私の無力感を増幅させた。
それから一週間、Hさんから「また、町田のフェースに絵を描きに来たい」というメールが送られてきたのだ。
で、私は次のような返信を送った。
「町田のアート、やってますよ。Yさんは、やっぱり絵はあきらめるのですか?せっかく生まれてきた才能なのに残念ですね。才能は苦しんだり、喜んだり、泣いたり、笑ったり、そんな日々の希望や絶望が栄養なので、それをやめてしまうとせっかく生まれたものも姿を隠してしまうような気がします。それに向き合うことはとても大変な事なので、多くの人は描くことをあきらめ、自分だけが持っている才能を見失ってしまうのでしょうね・・・これはYさんに対する言葉というよりも自戒です。私も死ぬまで、表現に対しては妥協せず、苦しんでいくつもりです。Hさんもその道を行きますか?(笑)」
すると、こんな返事が返ってきた。
「ありがとうございます(笑い絵文字)!僕はいろんな環境の中で自分のできること(絵はもともと好きなのですが)をベストを尽くしたいです。クリスチャンではありませんが『置かれた場所で咲きなさい』とゆう言葉がありましたよね。ちゃんと読んでいないのですが、そんな風です。Yちゃんは、なんと先生に失礼なことに、涼しくなったらまたやろうかなとほざいております(絵文字)・・・」
雨上がりの風がせまい通りを吹きぬけていった。
私はHさんのメールに元気をもらったような気になった。






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2013/07/30

Vol.108 はえキャンディーって、どんな味?



またまたフェースofワンダー絵本「ボクの星」の話。
秋の完成に向けて、絵やストーリーの検討も具体的になってきた。
ストーリーも3回、大きく内容を修正した。
最初は、生まれたばかりの小さなみどりのカエルがお母さんやお父さんを探して、成長していく優しくきれいなお話。
でも、「お母さんお父さん探しじゃなく、もっと現実の厳しさの中で勇気や希望を見つける話にしたいね」ということになり、緑カエルくん、なんとお母さん、お父さんは蛇に食べられる!という厳しい現実に直面することになります。
悲しみの淵に落ち込んだ緑カエル君が、もう一度生きていく勇気を取り戻すには、どうしたらいいのだろう?
絵本製作チーム「みけねこファーム」に集まってきたみんなで喧々諤々、いろいろ考えましたよ。
「慰めの言葉だけじゃだめだよねえ?」「トモダチ?それだけでも弱いねえ?」
「じゃあ、やっぱり食べるものじゃない?」「おいしいものをたべる喜び!」・・・・
なぜか、そんな風に展開して、「はえキャンディー」っていうアイデアが生まれた。
生きてること、死ぬこと、決して一人じゃないこと・・・そんなことを、前世が虫だった不思議な虫牛(ムシウシ)がこむずかしく語るのだけれど、それを緑カエル君の勇気に変えるものが、「はえキャンディー」。
ストーリーの展開上、決定的に大事なキーグッズなのだ。
「でも絵がないから、フェースの仲間に大至急描いてもらってくださいね!」
画像担当のNさんの強いお達しがあり、ボクは「はえキャンディー」を何人かの仲間に描いてもらった。
でも、なかなか難しい。
キャンディーの空き缶なんかを用意しても、イメージがわかない。
いきいきした絵が生まれてこないのだ。
「ハエって、おいしいの?」
「はえキャンディーってどんな味なの?」
「どうして緑カエル君は、ハエが好きなの?」
仲間たちの質問は、「ボクの星」の核心をついてくる。
どうして?ってどうしてなんだろう?
「ま、とにかく描いてみてよ。はえキャンディーの味なんて、食べたことがないからわかんないよ。苦あいかも!じゃりじゃり、固くてまずいかも?ピーナツバターみたいな味かも?」
いろいろ説得工作を試みる。
で、仲間たちはそれ以上の質問をあきらめて、描きはじめる。
(絵本っていうのは、現実を簡単に飛び越えられるから楽しいね。)
ところで、どうして「はえキャンディー」が緑カエル君の勇気に結びつくのかっだって?
それは、できあがりの「ボクの星」を読んでくださいね。
これ以上のネタばらしはNG・・・フフフフ。






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2013/07/26

Vol.107 増殖する鳥



増殖する絵っていうのがある。
描き始めたモノが、描き終わらずにどんどん増えていく。
色やイメージが描いている途中で変わり、不思議なものが現われてくる。
そんな絵だ。
そこには仲間の心の息づかいや視線、感情・・・いろんなものが手の動きとともに同時進行で既成の形を破って紙面に現れてくる。
現代アーティストの中には、生涯をかけて、ヒトやモノの表面的な形、色彩から溶け出す存在そのものの重量や質感のようなものの表現に取り組む人も多いが、フェースの仲間たちは、技術や思想なんか関係なく、そんな表現を生来から体得している作家もいるのだ。
そんな仲間の作品は、フランシスコベーコンと並べても作品として存在感をもっているなあと思ったりする。
(もちろん作品自体に類似性を見出すのはかなり困難だけれど・・・)
ここに紹介する鳥の作品もそんな増殖画法によって描かれた作品だ。
最初は「鳥を描いてよ」というボクの言葉から始まった。
作者のEさんは最近、描きに来るようになった青年で、作業所で働いている。ボクよりもはるかに大きな体格で、言葉はあまりしゃべらず、にこにこした表情で握手をしたら強い力が伝わってきた。
そんなごつい手で色鉛筆を持つと、指の間に隠れて小さく見える。
目の前に紙を置いてあげると、シンプルな図形化された鳥の形をさらっと描いた。
ひよこ饅頭のような鳥の形に針金細工のような脚・・・手の動きがとても優しい。
そのひよこ饅頭の鳥のカラダをいくつかのパートに分け、丁寧に色を塗っていく。
一見ぬり絵のようだが、柔らかなEさんのチカラで塗られた色は、セロファン紙のように淡く透き通って重なりあっていく。
最初に描いた形に色を塗り終え、完成かな?と見ていると、今度は羽のようなものをさらに付け足して塗った。それが終わるとまた別の色で塗り、ひよこ饅頭の鳥は色の中に埋没し、とうとう見えなくなった。
で、現れてきたのは、縄文時代に削りだされた石斧のような感じのモノ。
でも、目らしきものと鳥の足だけは残っているので、やっぱり鳥なんだろう。
どうです?
想像力をくすぐられませんか?






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2013/07/23

Vol.106 地に降りてくる空の青



ボクが大切にしている一冊の本がある。
「国際版色の手帳」という本だ。
240色の色の名前が英語やドイツ語、イタリア語、中国語など6か国語で掲載されていて、眺めていると、その名前と色の美しさが心の中にひろがってくる。
ボクにとっては、大切な詩集のような本だ。
何かに行き詰ると、それを開いては、その時々の気になる色を見つけて、
語りかけてくる色の言葉に耳を傾けてきた。
いま、ボクは青い色を毎日眺めている。
本には35を超える青が載っているのだが、日によっては灰色も青く見える。
どんな青を探しているのかというと、暗い地中にひろがる空の青なのだ。
その青は、既刊「ねっこのルーティ」の続編episode2の中の重要な色なのだが、ボクにはなかなか掴めず、もう半年以上も苦しんでいる。
ボクは「ねっこのルーティ」を自分のライフワークのように大切に考えていて、これから書かれるストーリーや光景は、ボクの想いとは関係なく物語自体が書き継いでいくだろうと能天気な事を思っている。
で、それがボクの中に浮かんでくるまで、制作をすすめまいと思っているから、episode2のストーリーはすでに出来上がり、英訳も終わっているのに、どうしても絵に取りかかることができないまま時間が流れている。(困ったもんだ!)
地に降ってくる青い雫、
もう一度空を飛びたいと願った鳥の魂の青、
空に戻った鳥の魂が微生物ソラノに託した無数の青の断片
まっくらな地中の天蓋にひろがる青空
ルーティの心の中にひろがる青・・・
そんなことをぶつくさ呟きながら頁をめくると、きょうは「セレステブルー」が目にとまった。
セレステブルー/天色(ama―iro)・天藍(tianlan)
空の青。*セレステ(celeste)は元来、フランス語で天の空の意。英語ではほかにsky blue
とかazureという言い方もある。天色は空色と同様晴れ渡った空の色をさすが、天色の方が青みが強い印象がある。ただし、今日では一般には使われない・・・・

そんな説明が書かれている。
ボクは、本を空にかざす。
夏の空にくっきりと広がる天の色
ボクは深呼吸する。
心の中に青がゆっくり広がってくる。






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