このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2013/09/13

Vol.120 あるがままにまかせる



ボクは仲間たちの描いている線や色彩が、作品として一つの像を結ばなくても、それらは生き残り、蓄積していかなければいけないとずっと思ってきた。
描きなぐった線や色彩は、仲間がフェースで手を動かし、紙に残した情熱や時間の記録なのだと思ってきた。
10年間描きつづければ、それは10年の膨大な線の地層や色彩の海となって、少なくともボクの中に積みあがっていく。
ボクは、それを仲間の想いを見ることのできる人、仲間の声を聞くことができる人に伝えていかなければいけないと思ってきた。
傲慢にもそう思ってきたのだ。
それがボクの大切な仕事の一つだと思ってきた。
夏の明け方、
尊敬するYさんから「おまえさんの過剰な想いは、仲間たちの線や色彩を歪めているかもしれないぜ。おまえさんが彼らと社会を結ぶ一つの回路になることは、単に回路だけに終わることじゃないから・・・」・・・・Yさんらしい晦渋に満ちた言葉が届いた。
Yさんはもはやこの世の人ではないから、その言葉はボクの幻聴なのかもしれないが、べらんめー調のYさんの声だと夢うつつの中でボクは確信しながら聞いていた。
「自力でどうこうできることなんて、しれてるんだよ。どうにもこうにもできなくって、投げ出すしかなくなったとき、何かが訪れてくるかもしれない。来ないかもしれない。それもどうでもよくなり、あるがままに身を横たえ、最期の時を待っていたら、もしかしたらおまえさんの上に、仲間たちの何万もの線や色彩が降ってくるかもしれない。来ないかもしれない。それだけのことさ・・・」
それだけで十分だとボクは思った。
もしそんな風に仲間たちの前であるがままに生きていけるなら、そうしようと思ったのだ。
すると、ボク自身がまた一つの線や色彩のように思えてきた。
仲間たちに比べて、余計なものをまとい過ぎた線、おしゃべりすぎる色彩だ。
ああ、イヤだと思いながら、仲間と比べることの愚かしさや自己否定する感情も、今の自分にはどうしようもないものだと思った。
とにかくこの線、色彩のまま土に転がり、虫や微生物に喰われながら、還るべきところに還っていくしかないのだと思った。
「総じもて存知せざるなり」「面々の御はからひなり」
Yさん、あなたが遺された「最後の親鸞」の中で繰り返されている親鸞の感懐に触れたような想いに浸る未明のひと時でした。






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2013/09/10

Vol.119 野菜を乾燥させる



いま、部屋の窓にはトーモロコシがぶら下がり、床にはニンジンや大根が転がっている。
料理のためではない。
絵の画題にするためだ。
何日も放置し、乾燥させている。
少しずつ形を失い、みずみずしかった色は白く褪色し、表皮に繊維が浮かび始めている。
黒カビが覆い、腐敗を始めているものもある。
野菜たちのカラダを流れる時間がそこにある。
この間、フェースでは野菜の絵を描いているのだが、いまひとつ面白くない。
野菜たちが話しをはじめないのだ。
なぜだろう?
いろいろ考えるのだが、もしかしたら野菜のチラシ写真やヒャッキンで売っている野菜模型のせいかもしれない。
あのいかにも健康そうな緑に輝くホーレン草やピーマン、まっかなニンジン、トマト。
まっすぐ伸びた太いきゅうり、大根、まん丸なキャベツ・・・
どうにも嘘くさいそれらを見ながら描いているのがまずいのかもしれない。
スパーのチラシの野菜やプラスチックの野菜には表情がない。
うまい!とかまずい!とか、苦い!とか甘い!とか・・・匂いにクラクラするとか、
そんなものが消去されてて、<安全・うまい・新鮮>っていう記号に変わっている。
いきものの表情っていうのがないのは哀しい。
ネジまがったふぞろいなねぎ、インゲン、少々葉先が黄変した小松菜…ひび割れた根菜
そんなものが表情を作るのにね。
フェースの仲間たちは、出来合いのイメージ・記号に支配されている人は少ないから、そんな生きた野菜を目の前に置けば、彼らはそのままの色や形を生み出していくだろう。
それが彼らのすごさなのだ。
ボクは野菜たちの表現を通して、いきものの世界をもっと広げていってほしいと思っている。それは、土や雨や陽射しや風、青虫や鳥や微生物たちと交感する世界だ。
その会話、物語を彼らが語りだしていってほしいと思っている。
それは仲間たちだからこそできる術かもしれない。
そんな絵を生み出すために部屋の野菜たちは、少しずつ朽ち、老いていっている。
昼下がり、床に淡い影を落とす野菜たちに、ボクは自らの姿を見ているような気になったりする。






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2013/09/06

Vol.118 公募展の締め切り、迫る



湘南アールブリュット展っていう小さな場所は用意したものの、どれだけの作品たちが集まってくれるのか、不安な日々を送っている。
竹ぼうきを持ち、海辺の砂を掃いては、どこかに掃き忘れた場所はないか、何度も点検してため息をついている老人のような気持である。
作品たちが集まってきやすいように、砂上にビーチグラスで道を描いたり、貝殻の標識を立てたり・・・そんなことをあれやこれや考えて疲れている。
それでも長い人生を生きてきたので、日暮れには、腰をのばして雲の流れる沖合の空を眺め、「ナルヨウニシカナラナイさ」と自らを慰め、「ミンナガ楽シンデクレルノガ一番」と結果よりも過程を楽しむ気分にひたっている。
もちろん、海辺で公募展をやるわけではないが、老人は湘南アールブリュット展というネーミングのせいか、作品たちがヤドカリや蟹やウミガメのように海辺に集まってくるイメージを持ってしまうのである。
「湘南で、面白そうなアート祭りをやるそうだぜ」とか「ちょっと覗きに行くべ」とか、そんな噂話を日本各地にトンビやカラスたちが広げてくれないかと願っているのである。
公募展をやろう!と声をあげて、1カ月で締め切りだから、もちろん多くの作品たちが集まってくれるとは思っていない。
大切なのは、出会ったことのない作品たちが、アールブリュット展で出会うこと。
彼らがいろいろな言葉で勝手にしゃべり、みんなを巻き込みながら、新しい祝祭空間が生まれることだ。
集ってくる作品たちが少数でも、そこに夢が語られればそれでいい・・いつの時代も、新しいものが生まれる最初は、偶然のようなエネルギー、想いの一点からなのだ。
その小さな波紋が、時間をかけ、ゆっくりウェーブになって広がっていく。
その最初の波紋が生まれようとしている。
夢見る老人は、陽が落ちた空を見上げる。
視力の落ちた目にも、一つ二つの星が見える。
すると、Hさんから聞いた話を思い出した。
「Nがね、きのうすごいことを言ったんですよ。(Nくんは特別支援学級に通っているHさんの子ども)一緒に、夜道を歩いていたら、とつぜん『パパ、がんばってるね』っていうので、ボクのことをほめてくれてるのかなと思ったら、星なんですよ。星が光ってるのみて、がんばってるねって言ってるんですよ。子どもって、星をそんな風にみるんだと驚いたけれど、なんだかボクも元気になれるような気がしました。」
その話を思い出したら、海辺に輝いている星が、Nくんのキラキラした目のように思えてきた。
そんな星が、日本や世界の空にはいっぱいあるはずだ。






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2013/09/03

Vol.117 夏の苔



八月の終わり、京都の苔寺(西芳寺)に行った。
特に用事があったわけではないが、なぜか行ってみようという気になった。
苔寺には遥か昔に行ったことがある。
当時は一般に開放されていて、いつでも入ることができた。
まだ若かった私がどんな想いで苔の道を歩いたのか忘れてしまったが、土塀や竹林、古池といった境内の静かなたたずまいや深い苔の緑は、いつでも脳裏に浮かべることができる。
その緑の道をいまの私は、どんな想いで見るのだろう?
そんな気持ちが私を京都に誘ったのかもしれない。
その日も暑かった。
バスから降りて緩い坂道を5分ほど歩く。
夏空を見上げて息をつく。
境内のきれいいな玉砂利、刈り込まれた木々、改装された寺院・・・強い陽射しにさらされた百日紅の木を見ながら、何かを思い出そうとしたが、浮かんでくるものはなかった。
本堂で読経を聴き、写経代わりの願い事を木片に書き、庭園に向かった。
古木の茂る薄暗い庭園には、苔が一面広がっていた。
ゆっくり苔の道を歩いた。
すると、突然、セミしぐれが身体の中に響いてきた。
身体の中に眠っていたセミが目覚めたように鳴きだした。
立っていられなくて、手近の岩に腰を下ろし、足もとの苔を見つめた。
白く乾燥した夏の苔だったが、それは見覚えのあるものだった。
50年ぶりに戻ってきたのだ。
変わるものは何もない、と思った。
周りのものが消えて、50年前の苔だけが残った。
半世紀だよ、半世紀、何をやってきたんだろう?
応えはないけれど、ある感慨が突きあがってきた。
もしかしたら、時間は積みあがっていくものではなく、還るものなのかもしれない。
変わるものは変わり、変わらないものを残していく、巨大な河のようなものかもしれないと思った。
すると、鴨長明の方丈記の一節や3.11のシーンが浮かび、庭園の中を渦巻いて流れ始めた。
私は小さな虫か、地衣類のようになってそれを見てるだけだ。
夜、
京都の上空を横なぐりに雷光が何度も走った。
その度に市街が青白く浮かび上がり、闇に沈んだ。
1000年前も、こんな雷を見ながら、不安な夜を過ごした中世の人がいたんだろうなと思った。






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2013/08/30

Vol.116 額を作る



湘南アールブリュット展に向けて、頭の痛いことが一つある。
それは出展するには、お金がかかるということだ。
出展料に1000円。額装は自由だけれど、作品に合わせてマットを切ってもらうと、額代はどんなに安くても5000円を超えそう。それに、会場の蔵まえギャラリーに作品を宅配便で送ると、往復で2000円超え?なんだかんだと8000円前後はかかりそうなのだ!
この金額、障がい者年金や生活保護で暮らしを支えている仲間たちには、かなりきびしい。
湘南アールブリュット展は、スポンサーや補助金に頼らず、自前で障がいの有無を超えた自分たちの作品展を創っていこうという試みなので、どうしても自己負担ということが基本になる。この壁を越えて、はじめて私たちのめざす公募展は自立するのだ。
お金がないと出展できないという形に屈したくはない。
で、私のできることを始めた。
一つは額装代を安くするために、鎌倉にあるSという額作りに取り組んでいる福祉作業所に事情を話して、格安の値段でマット付き額を提供してもらうことにした。(S作業所さんには泣いてもらうことになったけれど、これで仲間たちが参加するための障壁が少し低くなった。)
次は、参加費くらいは出せるけれど、額装費用は出せないという仲間と一緒にオリジナル額を作る事にした。たまたまフェースには、写真用の木製パネルがあったので、それを利用して、かっこよくはないけれど自前の額を作る事にしたのだ。
べニア板に作品を貼り、その周りに額ぶちをイメージしながら、模様や色でコラージュ、着色していく。
すると、まあいろんなことが起こってくる。
額の派手さに作品が死んじゃったり、埋没して額自体が作品に変身したりする。
早く終わらせようとして、作品に絵の具が飛び散り、台無しになったり・・・
がっくりうなだれる私に「わあー、なんだかきれいになったね」とか「できましたね!
完成です!」と仲間たちは明るい声をかけてくる。
額を作るというよりも、行為自体を楽しんでいるのだ。
で、私は、またまた仲間たちに大切なものを教えられたような気になる。
作品は作品だけで存在するのではなく、額も含めて存在するっていうこと。
それは、人が生きているあり方と同じだ。
それから、額は外見にすぎないから、なくてもいいんじゃないかとも思う。
例えば、スケッチブックそのまんま出してみる。
落書きも含めいろいろな絵が塗りたくられた、よれよれのスケッチブックは、彼らの表皮や魂の形に見える。
額なんかに囚われてちゃ、自由な展覧会なんてできっこないと反省する。
その夜、タガの外れた私の頭にもう一つのイメージが浮かぶ。
いろいろなところから集まってきた作品が、ギャラリーの中でそれぞれの居場所を見つけ、深夜、鳴き声を出しはじめる。すると、関東大震災後にできた、藤沢のお米屋のギャラリー全体がぶるぶる震えだし、一つのオブジェというか、生き物に変身して、海辺の空に浮かんでいる・・・。
そんな公募展になったらいいなあと思うのでありました。






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