このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2013/10/01
Vol.125 作品が語る
第一回湘南アールブリュット展が始まり、多くの人が見に来てくれている。
国内外から120点の作品が集まった。
作品たちは、運営委員の人たちによって置き場所を決められ、少々居心地の悪さに当惑しているものもあるかもしれないが、一つひとつが、そこに存在し、それぞれの物語を語り始めている。
初日、開場1時間前から来られて、自分の作品がどんな風に展示されているのか、そわそわ待っている女性がいた。私には初対面の人。
和室に2本のイーゼルを立て、古い板戸を横に置いた展示板に飾られている自分の絵をじっと見ている。畳に正座し、じっと絵の言葉に耳を澄ましているような彼女の姿に、心打たれる。
きれいな茜色に塗られた花の絵はきっと、制作中に対話し続けた言葉とは違った想いを彼女に語っているに違いない。
古い金庫の中に納まったのは、イタリアのカラーラからきた紡錘形をした白大理石の彫刻。
鋭利に切り取られた断面にはライトグリーンが塗られ、緩やかな曲面でできた形はまゆに包まれた生命とか豆の莢(さや)のようにも思われる。
最初はイタリア語が読めず、タイトルを「無題」にしようとしたが、本展の選考委員をお願いしている在イタリア彫刻家の中村真木さんに読んでいただき、「種子」と判明。
昭和初期の分厚い扉の奥の桐箱の中で、妙になまめかしく命の歌を歌っているようだ。
トイレに飾らせていただいたのは、教え子の生徒の顔写真をコラージュしたOさんの作品。
何人もの人の目に同時にさらされることはないが、一人ひとりがゆっくり見てくれる。
木格子の窓から射してくる柔らかな光の中で、穏やかな笑顔を浮かべた作品は、Oさんと生徒がどんな時間を過ごしてきたのか伝えてくれるみたいだ。
仙台から送られてきたYさんの作品も、私には彼女の近況を伝えてもらったようで嬉しかった。淡い繊細な線で描かれたネパールの老女の絵だが、そのやわらかな陰影のフォルムの中に、生活すること、生きること、そんな女性特有の力強さを感じた。この夏に観た宮崎駿の「風立ちぬ」の「いきよ!」というメッセージを思い出した。
いろいろな作品がそれぞれの想いを語っている。それとゆっくり対話する。
いま世界は貧困や戦争、富の格差、収奪、破壊・・・様々な形をした暴力に満ちあふれ、希望は遠のいているように見えるけれど、作品たちの声を聞いていると、まだどこかで希望の種子が芽吹く場所があるに違いないと勇気づけられる。
いつか、その地に辿り着き、希望の種を一つだけでも地中に埋めることができればどんなにいいだろう。
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2013/09/27
Vol.124 湘南アールブリュット展が始まる
みんなでつくる公募展「第一回湘南アールブリュット展」がきょうから始まる。
行政や全国組織の大きな力はもう要らない。
ささやかでも自分たちの声で呼びかけ、作品や作家、一緒にアートを楽しむ人たちと内容や形態を作っていく。
今回は、そんな公募展を作るための第一歩なのだ。
暑い夏、満を持してというよりも、短期間でいっきに走り抜けようという感じで、きょうを迎えた。
既成の公募展のイメージにとらわれていると、金銭的にも技術的にも身に余るものばかりなので、身動きが出来なくなる。
で、いつもイマできるモノは何?ばかりを考えて走ってきた。
外面なんかにかまっていられないのだ(笑)。
で、息使いやペース、自分たちの力量が見えてきた。
無理せず、柔軟に、知恵を出し合い乗り切っていく・・・・それがきっと、湘南アールブリュット展の独自性や今後の方向性を作りだしていく骨格になるのだろう。
だから、展示会に来られたら「なんだこりゃ?」って思われることも一杯あるだろう。
まず目に付くのは、展示の窮屈さ感(かな)?
集まってきた作品数に比べ、展示スペースが小さすぎるので、美術館のように余裕のある展示は鼻っから無理なのだ!(ホント、作品さんたち、申し訳ないっす!)
でも、だからといって無審査(アンデパンダン)はやめにして、審査制にするの?ってことにはならないね。
じゃあ、どうするの?んー、ンンンン。もっともっと、作品が会場の蔵まえの建物と密接に結びついて、展示イメージが根本から変わっていくしかないのかもしれない。
問題はスペースだけじゃない。
賞って、本当に必要なのだろうか?
情報はどういう風に流していったらいいのか?・・・・etc山積みなのだ。
でも、それって、この公募展がより面白いものに変わっていくためのヒントの宝箱かもしれない。意見を出し合い、人もスペースも作品もどんどん変わっていけばいいのだ。
準備期間でも、一番面白かったのは私たちの変化。
いろいろな難問に出会うたびに、どんどん考え方が柔軟になっていった。
それを促していったのが、作品たちとの出会い。
本当に作品たちは語るんだよね。
彼らの話はいつもめげそうになる私たちを元気づけてくれた。
で、きょうから始まる湘南アールブリュットでも、きっと新鮮な出会いがいたるところで生まれるだろう。
これを読まれた方がたも、ぜひ会場まで足を運んでほしい。
お茶でもゆっくり飲んで、作品たちと会話をしていってください。
本当に変わりたいなら、いつ変わるの?
いまでしょう!
(寒いギャグでごめんなさい・・・・最悪)
作品たちと一緒にお待ちしています。
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2013/09/24
Vol.123 作品たちの祝祭空間
湘南アールブリュット展を作品たちが出会う祝祭の空間にしようと思って、会場の蔵まえギャラリーを見渡すと、関東大震災の後に作られた町の米屋さんの建物なんだけれど、結構アートなんだよね。
これを祝祭空間に利用しない手はない。
例えば、お手洗いの天井。木と竹を組み合わせた不思議な網代模様で、見上げていると宇宙に登っていく感覚になる。手前が紳士用のトイレ、その奥がご婦人用なのだけれど、天井の模様は、それぞれ違っている。木のカーブなんかには、当時の大工さんの技や遊び心が伝わってくる。
ここに作品を置くと、どうなるんだろう?
きっとキッチュな空間になるんじゃないか?
でも便所なんかに作品を飾ると、怒る作家もいるね?
でも置きたいね。
例えば、イタリアから送られてきたステファーノ・グラッタローラさんの高速道路のトンネルの作品、遠近法で遠くにトンネルの出口が暗がりの奥に描かれているんだけれど、この天井の感覚と通じ合うものがある。でもこの人、画集も出してるプロの作家さんで、わざわざ湘南アールブリュット展の趣旨に協賛して作品を送ってきてくれたのだ。作品の値段も300€(ユーロ)~っていう話だからまずいよねえ。
ま、最悪の場合、私の作品でも飾ろう…(笑)。
見どころは、それだけじゃない。
台所奥の風呂場。全然かたずけられていないから物置状態、薄暗くて雑然。でも、この天井もアート心満載なのだ。(多分、会期中は閉めきっているから、ギャラリー店主の佐野さんに頼んで見せてもらったらいい。一見の価値ありですぞ)
それから和室の鴨居、これも凝っている。一枚板の自然木が波に見立てられ、千鳥が飛び交う波間のような逸品である。ここに誰やらが、染めの作品を飾りたいって言ってた。
土間からの上がり框にしつらえられた神棚やすすで真っ黒な大黒さんや象牙の彫り物も見逃せない。それから大きな金庫。これも大正から昭和の香り一杯の気になる存在。明智小五郎と怪人十面相が出てきそうな雰囲気を醸し出している。この金庫の中に折り紙の恐竜なんかが入ってると楽しそうだ。
考えてみると、蔵まえギャラリーほど、いろいろなボーダーを越えた作品たちが出会い、語り合う場所に、ふさわしい会場はないのかもしれない。
で、みなさまにご提案!
26日の午後2時から展示をします。
私たちと一緒に、作品たちの祝祭空間を作ってみたいと思う方は、ぜひおいで下さい。
アイデアを出し合いながら、建物ごと、アート空間にしてみましょう!
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2013/09/20
Vol.122 豊饒な岸辺
湘南アールブリュット展の公募期間がはじまり、少しずつ作品が集まってきた。
絵画からゆるキャラのような不思議感覚のぬいぐるみや折り紙、染め描き、大理石の彫刻までいろいろ。
イタリアやカンボジア、コスタリカ、日本・・・・いろいろな国籍を持つ作家たちによって生まれた作品は、みんなリラックスしていて美しい。
作品本来の楽しさや繊細さに満たされている。
無理しない息づかいやたたずまいに、見ている私の不要なものが洗い流されていく感じがする。
長机の上に彼らを並べ、ゆっくりと過ぎていく午後の時間を一緒に過ごしていると、これまで出会うことのなかった作品たちが、ここで出会っていることの不思議さに心打たれる。
いろいろなところでいろいろな形で生きている彼らが、本当に小さな私たちの声をきき、湘南アールブリュット展という岸辺に集まってきてくれたのだ。
作品たちは、長い海の旅をつづけ岸辺に集まってきた魚たちのようだ。
深い海の底で、強い風の吹く海原で、荒れる磯の波間で、
彼らは、かすかな私たちの声を聞き、集まってきてくれたのだ。
それだけで、彼らは出会うべくして出会った作品たちなんじゃないかなと思うのだ。
「(公募展を)やってよかったよね?やっと出会えたんだから・・・」そんな風に彼らに語りかけたくなる。
だから、湘南アールブリュットは、彼らが彼ら自身であることを十分に楽しめる空間にしたい。彼らの言語や身振り手振りで語り、歌い、踊り、交わる・・・そんな祝祭空間にしたいと思うのだ。
「でも、難しいね。」
私は、午後の影をまとったゆるキャラくんに語りかける。
彼は、困ったような表情で少しうつむく。
「上手さやキャリアを競い合う、そんな公募展だけにはしたくないね。」
サインペンで一筆書きのように描かれたピカソ風のママがまっすぐ私を見る。
「そうだね、どんな権威も必要ない。」
ここは、豊穣の岸辺。
視る人も、作る人も、作品たちも、自分たちであることだけで楽しめる、そんな祝祭の岸辺なんだ。
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2013/09/17
Vol.121 嘆きのトーモロコシ
先日、紹介した乾燥トーモロコシ(2013.9.10「きょうのまねきねこ」参照)が大変なことになっている。
野菜のモデルとしていろいろなフェースの場で大活躍だけれど、実の部分に10円ハゲのような白い地肌が目立ち始めたのだ。
事の発端は、S君。
彼はいま人物や野菜のクロッキーに取り組んでいて、その日のテーマは、「乾燥トーモロコシを描く」。紙を広げ、細筆を持ち、いざクロッキーを始めようとしたのだが、なぜか一向に手が動かない。
「はやく描こうよ」と催促するが、モジモジ。
「どうしたの?」と声をかけると、「ほらっ!」と私の目の前になにやら突き出した。
見るとS君の指先には、小さなトーモロコシの実。
で、私はそこで気づくべきだったのだが、つい、言ってしまったのだ。
「とっちゃったの?じゃあ、食べていいよ。」
すると彼はぽりぽりかじり、納得してクロッキーに取りかかった。
相変わらずの粗い線だが、一気に力強いトーモロコシを描いていく。
で、ボクは彼から離れ、他の仲間とおしゃべりなんかして、10分ほどでS君の机に戻ってみると、彼は「できあがりました!」と作品を差し出した。
見ると、絵には白い四角がくっきり。
「これは何?」彼に聞いても答えてくれない。
ふと、机の上のトーモロコシを見ると、
「じぇじぇ!」実が食べられている!
確かに3cm四方くらいに実はなくて、軸の地肌が見えている。
「食べたの?」「うん!」「おいしかった?」「うん!」
怒るに怒れず、あわててトーモロコシを隠してしまった(笑)。
フェースが終わり、私はこっそり一粒食してみた。
なかなかいける味である。
一粒で終わらず、かじり続けてしまったS君の気持ちもわかる。
味見してみたい人には解禁だなと決定!
というわけで、乾燥トーモロコシはいろいろな場所でぽりぽり、10円ハゲを広げていくこととあいなりました。
その効果か、生まれてくる絵はじつに美しい!
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