このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2013/10/18
Vol.130 アールブリュットって何?その2
前回に引き続き、今回もアールブリュットについてのお話。
個人的なたわごとなので面白くないでしょうが、お付き合いください。
前回は特定の技法や表現思考に基づく一つのアート潮流として、アールブリュットを定義するのは難しいのではないかと感想めいたことを述べた。
ワタシにとって、アールブリュットは、時代が大きく転換する時に現れるエネルギーのうねり、感情のようなモノのひとつじゃないかと思ってる。
分析不能だけれど、急速なIT文明の流れの対極にあるものを求める時代の感情(それは多分、極私的なモードとして現われる)、それがアートという回路を通して現われている。
そんな気がする。
だから、それはカテゴリーの定義じゃなく、ムーブメントに本質があるのかもしれない。
時代の大きな転換点では、変革の流れに対して、既成の価値観、体制を守ろうという力も台頭してくるから、一方でいまも障壁は厳然と存在する。
例えば、インサイダー(主流画壇)からはみ出したアウトサイダー(非主流)アートという名称でアールブリュットを再定義したり、障がい者アート作品の素晴らしさを認めつつも、本来的なアーティスト作品とは同列ではないという差別的な囲い込み(特殊化)をしたり・・・・でも、時代の感情はそうした障壁をすでに超えている。
多様な個人の感性や心性に直接触れる作品、アートを時代は求めているのだ。
いま、世界で同時発信的に、アールブリュットが、いろいろな姿かたちで登場し始めている背景には、そうした障壁を取り払う柔らかな力をアールブリュットに感じているからかもしれない。
湘南アールブリュット展には、プロ?の方もそうでない方も(自己認識の違いにすぎないけれどね)、障がいのある方もない方も、いろいろな民族の方も、分け隔てなく作品を出していただいた。作品たちには、障壁なんて全く関係ないから、それぞれがそれぞれの言葉、方法で自由にお喋りをしてくれた。
それは、自由に呼吸できるステキな空間だった・・・。
国内外のいろいろな場所で、そうした時代感情を表現するいろいろな形のスペースが生まれていけばいいのだ。
リラックスしたぬくもりや自由感、共生感といった、柔らかな感情が世界に芽生え始めている。
きっと、それが障壁のない世界を作っていくのだろう。
アールブリュットには希望がある。
△ページトップへ戻る
2013/10/15
Vol.129 アールブリュットって何?その1
このところ「アールブリュットって何なの?」ってよく聞かれる。
聞かれても実はよく分からない。
けれど、「湘南アールブリュット」っていう公募展を仲間たちと起ち上げたもんだから、
分からないなりに、いま考えてるアールブリュットについて語らなくてはいけない。
一般的なことは調べればわかる。
アールブリュット=Art
Bruit 「生(き)の芸術」/画家のジャン・デュビュッフェが1945年頃に唱え始めたアートの概念で、正規の美術教育を受けていない人が自発的に生み出した、既存のモードに影響を受けていない絵画や造形作品を指す。
障がいのある作家たちの作品との関連でいえば、わがフェースの仲間たちの作品もアールブリュット作品に位置付けられ、創造することの普遍的な可能性や豊かさを伝える芸術分野として、現在、国内外で注目を集めている・・・・
そんなところが、現時点でのアールブリュットの主流の説明になる。
でも、ワタシは何だか腑に落ちないのである。
「正規の美術教育を受けていない云々」という定義自体がナンセンスなのだ。
現在、世界で活動するアーティストの85%が正規の美術教育を受けていないといわれている。(まあ、その数字もどれだけ正確なのかは怪しいけれど・・・)
じゃあ、その85%の作家たちはアールブリュットの有資格者で、既存のアート概念が崩壊した現在、彼らのほとんどが既存のモードから脱却したオリジナルな表現を目指しているのだから、みんなアールブリュット作家ってことになる。
デュビュッフェの時代には、まだアカデミズムな伝統的美術の価値観や概念が支配的だったから、その定義も成り立ったかもしれないが、現代では何も定義し得ていない。
現に、去年、湘南で行った田島征三さんの講演でも、彼は「美術教育は受けたけれど、自分もアールブリュット作家である」と宣言され、正規の美術教育云々がアールブリュットの定義ではなく、独自の表現に取り組んでいるかどうかなのだということを話された。(だから、湘南アールブリュットに田島さんも出展してほしいと頼んだのだが、出展していただけなかったのは残念ではあるが・・・・それはまあ別の問題)
じゃあ、現代において、アールブリュットの定義とは何か?
それが問われるのだが、ワタシは、印象派とか古典主義とか表現主義とかといったカテゴリーとして定義するのは無理があるんじゃないかと思い始めている。
画材や技法がここまで様々な形で多様化し、20世紀に芸術作品として位置付けられた権威的な諸作品がパソコンで一瞬のうちに作られるようになった現在、そこから決別した極私的モードの獲得がすべての表現者に求められている。(それを生来的に獲得しているのが、わがフェースの仲間達なのかもしれない。)
時代によって、そのように普遍化した極私的表現モードを求める作家たちをアールブリュット作家と呼ぶのも、単なる現代アーティストという言葉と変わらない。
で、ワタシがいま幻想しているのは、これまでアートという世界が形づくってきた様々な価値観、体制(例えば、日本でいえば美術教育、日本画、洋画など技法による領域化、美術専門家、画壇、プロとアマを峻別する美術年鑑・・・障がいの有無によるレッテル貼りなど)を越えていく作品たちの発信力だ。
既存の権威を形づくっているそうした様々な障壁や境界、それらを超えるものを時代が求め始めているのだ。そうした時代の流れが、アールブリュットという言葉で呼ばれ、アートを根底から変えようとしているのではないか?
ああ、だんだん難しくなってきた。
頭がくらくらしてきた。
というわけで、今回はここまで。
△ページトップへ戻る
2013/10/11
Vol.128 形にならないものが・・・
湘南アールブリュット展が終わり、
集ってきた作品たちを送り出すと、
やっとボクのところに時間が戻ってきた。
ポカンとした静かな草原のような時間。
寝転がって、何もしないで、ぬるい時間に浸っていると、
いろいろなものが時間の周辺に姿を現し、ウロウロ。
わざと無視していると、
ボクの注意を引こうと、おずおず近づいてきてくしゃみをしたり、
小さな音を立てて落し物を拾ったような素振りをしたりする。
それでも構わずに、目を閉じて雲の影や草のそよぎを楽しんでいると、
「ああ、ごほん!つかぬ事をお伺いしますが、よろすいでしょうか?」
河豚か太ったモグラのような形にならないものが視界に入ってきて、問うのだ。
「何でしょう?」
「SHOUNANあたりで、『あーぶゆと』とかもうすお祭りが開かれたとか?大層なにぎわいだっとか?わたすらは、呼ばれなかったので少々さびしいおもいをすております。あーぶゆとというものは、そんなにおいすいものでありましょうか?」
なんだ、これは宮沢賢治の世界ではないか?
片目を開け、形にならないものをみると、姿は見えず、ゆらゆら遠くの森や山が揺れているだけだ。
「アールブリュットね?確かにおいすいものですよ。お高い人も、悲しい人も、小さい人も、遠くの人も、とっておきの宝物を持ち寄って、みんなで味わうのですから、それはステキにおいすいのです。やわらかくて、じゆうで、いろいろなものが響きあって・・・私たちは、一人ではないんだという味なのですよ」
形にならないものは、ぶるぶる体を震わせ、舌なめずりするような音を立て、遠くの天木の山影までが虹色に輝きました。
「わたすらも、参加すてよろしいのでしょうか?」
「もちろん、参加すてよろしいのです。次回は来年ですよ。みなさんでおいで下さい。」
すると、雲の高みから、一陣の風が草原に吹きおりてきて、さわさわ、すすきや秋の草花が光り、ボクの身体が浮き上がるみたいだった。
「祭りの合言葉は湘南あーぶゆですよ。」
いつのまにかぽっかりと空いた草むらに夕日が射し、ボクは少し元気になったみたいだ。
△ページトップへ戻る
2013/10/08
Vol.127 人の声、星の声
この夏、右耳の補聴器をなくした。
ふだんは、両耳に補聴器を使っているので、片耳だけの生活はつらかったけれど、一つ気づいたことがある。それは、人の声とテレビの声の違いだ。
私の耳にはいつも砂嵐のような音が渦巻いていて、気もちしだいで大きくなったり、小さくなったりする。補聴器がないと、その音は聞こえないという不安のために増幅する。
街中を歩いていても、電車に乗っていてもザーという音が頭の中に広がり、何かを聞こうという意思を放棄したくなる。
今回は左耳だけの補聴器だけれど、砂嵐の音はひどかった。
もう聞こえなくてもいいやという気持ちで一週間ほど過ごしたのだけれど、一つの音だけが聞こえてくることに気づいた。
それは人の声だ。
部屋の中にどんなに大きなテレビの音が流れていても、私に語りかける声だけはくっきりと姿を現した。テレビだって、その声と同じようにアナウンサーやタレントの声を流しているはずだけれど、機械によって操作される声は私の中に残らなかった。
生の人の声だけが、私に必要なことを伝えてくれた。
少々トンチンカンで、周りの人には迷惑をかけたかもしれないけれど、私は両耳補聴器の時よりも快活だったかもしれない。
機械音よりも、生きている人の声を私の身体が選択したという事実に、私はいささか感動していたのだ。
未明、
補聴器をはずし、私は屋根に上った。
背後の森や遠くの海も闇に隠れ、星だけが広がっている。
昔、
夜ごと、同じように屋根に上り、雑音の混じる深夜放送に耳を澄ましていたのだ。
明るいパーソナリティーの声は、何も知らない少年を遠くに運んでくれた。
いま、テレビの声は老いた少年を遠くに運ぶことはない。
あの声はどこに行ったのだろう?
頭上に広がる星だけが、いまもあの頃の声を静かに降らせているのかもしれない。
△ページトップへ戻る
2013/10/04
Vol.126 終わりは始まり
きのうで、この夏走り続けた「湘南アールブリュット展」が終わった。
集った作品たちはさっそく壁から外され、プチプチシートにくるまれ、作家たちの手元に戻る準備に入った。
展示期間、本当に多くの方々が訪れ、いろいろな感想を言っては去っていった。
残しておきたい言葉も一杯あった。
何度も訪れる作家たちもいた。
その真剣な表情も忘れられない。
最終日、
片づけを終えギャラリーを出ると、ゆるやかにカーブした路上に夜風が吹きぬけている。
思わず首をすくめた。
いつの間にかすっかり秋風に変わっている。
人気のない工事現場の防塵シートが風にあおられ、音もなく踊っている。
見覚えのあるきれいなパステル調のクロコダイルが狭い路地の角をずるずる這って姿を消した。
太いつたのような自転車をこいで姿の見えない人が坂道を登っていく。
24時間営業のコンビニのレジに立っているのは、金ぴかの恐竜の頭だ。
奇妙な時間に迷い込んだ。
そう思ったら、灯りの消えた湘南FMの前をクラゲのような象がゆっくり歩いていく。
お尻を振りながら4匹のシマシマ人形がショーウインドーを覗きこんで何やら話し込んでいる。
全部、見たことのある作品たちだ。
彼らがアールブリュット展の終わった街を闊歩(かっぽ)しているのだ。
確かに彼らをプチプチシートにくるんでギャラリーの片隅に積みあげた筈なのだが、まったく勝手で不思議な連中だ。
なんだかおかしい。
まあ、祝祭が終わった夜は、こんなこともあるかもしれない。
そう、確かに宮沢賢治の月夜の電柱も、鉄路を行進してたし、
オールズバーグの名前のない人は、秋が来ているのをすっかり忘れていた。
「無事に自分たちの古巣に帰るんだぜ・・・」
私は一人、手を振って駅に向かう。
きっとまた会うことになるなあ・・・
終りは始まり、再会(サイチェン)再会・・・。
△ページトップへ戻る