このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2013/11/05
Vol.135 11月は影があたたかい
二つの台風が太平洋上に走り去り、
ボクの住んでいる街にも秋らしい陽射しが戻ってきた。
この陽射しを何と表現したらいいのだろう?
時々、ボクはフェースの行きかえりに仲間に問うてみる。
「ねえ、この光は何に見える?」
差し出した両手の中に、光が丸く浮き上がる。
「んー、シュークリームですかねえ。透明なやわらかい・・・」
彼は、高校生の時からボクが変な先生で、変な答えを言うと喜ぶのを知っているので、真面目に考え、真面目に答えてくれる。
ボクは彼の「んー」といいながら考える、小さな間あいが気に入っている。
その向こう、不思議なオブジェのような答えが現われる瞬間も。
なるほど開いた掌の底に重なり合った指が、シュークリームのような影をつくり、光はわずかに黄みを帯びた球体になって、そこにある。
「じゃあ、これは?」
ボクはかれた芝生の上の光を指さす。
「んー、砂漠ですか?草の砂漠ですね。」
草が生えている砂漠って・・・矛盾しているけれど草が生えてても砂漠なんだ。
枯れた草が鉱物のようになってカチカチ光る砂漠がボクの中にも広がっていく。
秋の硬い青空の下に広がる鉱物の草・・・ボクは光と影でできた草をおもう。
そんな感傷に浸っていると、彼は突然、彼らしい答えを見つけて叫ぶ。
「んー、パンですよ!焦げたパンですよ!」
なるほど、芝生を見ると枯れた草が重なり合い、複雑な焦げ跡を作っている。
秋のやわらかな光と影の混じりあった食パンの感触だ。
彼の答えの多くは食べ物に結びつく・・・それって何だか温かで、とても大切な気がする。
夜、
ボクは小さなスタンドに手をかざす。
闇の中に赤い手が浮かび上がる。
アールヌーボー調のガラスの器のように浮かんでいる。
流れる血の温もりが、影になって指にまとわりついている。
秋の夜更け
ボクはその器に紅葉した森や山の端に暮れる夕焼けを盛ってみる。
11月、人と自然が交わる季節。
影はあたたかい。
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2013/11/01
Vol.134 砂糖菓子が崩れる
10月30日の朝、いつものように雨戸をあけ、
サンダルをつっかけ、新聞受けから新聞を取り出した。
台所で茶を飲み、新聞を開いた。
いつものような朝がはじまろうとしていた。
でも、その日はちょっと違った。
新聞の一面に「日展書道、入選を事前配分/有力会派で独占」という見出しが躍っていた。
一気に目が覚めた。
「ついにここまで来たか」という思いで、記事を読んだ。
記事の内容は、日展の09年度の「篆刻」部門の会派別入選者数を日展顧問が事前に指示していたというもの。一万円支払えば、誰もが自分の実力を試すことができる公募展の存在意義を軽視し、出展した人々の思いを裏切る不正行為であるという主旨が書かれている。日展の権威は文化勲章まで結びつくもので、書道界は有力会派の下に各団体や教室がピラミッド状に系列化され、上納金制度などが行われている実態も明らかにしている。
こうした日展の階級社会は、書道界に限らず絵画などの芸術部門でも同様であり、「先生に手ぶらじゃ駄目」という小見出しは、画壇という閉鎖的な権威主義に群がる営利集団を痛烈に批判している。
生け花やお茶の日本特有の家元制度を巧みに真似て、官民一体で作り上げた書道界や画壇の階級的な組織の醜さは多くの人の知るところであるが、その実態についてはタブー視され、マスコミが公にすることはなかった。
それをついに、天下?の朝日新聞社が記事にしたのだ。
「壇」という秘匿された蜜に群がる営利集団が文化を作る時代は終わりを告げたのかもしれない。時代は、旧弊的な権威的芸術ではなく、多様で自由なアートを求めているのだ。
湘南アールブリュット展を起ち上げた年に、こうした記事が出たことに因縁のようなものを感じる。何の準備もなく、ただ走るように突き進んできたのも、そういう時代の波の後押しがあったからかもしれない。
無駄じゃなかった・・・・。
私は、食卓に角砂糖をピラミッド型に積み上げる。
それから、スプーンで紅茶を少し垂らした。
ゆっくり、赤い水が浸透し、甘い建築物は崩れていく。
私は砂糖を口に含む。
それから自戒する。
「壇」は砂糖菓子に似ている。
蜜の味は、いろいろな様相をして人々を惑わせる。
これがはじまりなのだ。
時代の波は、これからも大切なものや大切でないものを崩していくだろう。
私はそれをどこまで峻別できるのだろう?
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2013/10/29
Vol.133 湘南アールブリュット展の余波
今月初めに終わった湘南アールブリュット展の余波というか関連した動きが続いている。
一つは入賞者作品展の開催。
今年は、審査員特別賞も含め9点の作品の入賞が決まった。
入賞作品ともう一点、それぞれの作家が作品を展示しようと準備が始まっている。
寡作な作家が多いので、その一点をどうしようと、作家たちは新たな作品作りに取りかかっている。
もちろん古い作品でもいいのだけれど、賞をもらったら急に意欲満々。入賞作品を超える作品をものにしようと、それまでフェース以外では決して描こうとしなかった人が、家で作品に取り組み始めたりしている!
賞を設けること自体に賛否両論があり、なかなか難しい問題だけれど、こうした動きは賞を設けたことによる積極的な広がりの一つではある。
同じように積極的な動きとして、Bow Books賞やキュリオス賞の副賞を何にしようかという議論がある。
この二つの賞は、アールブリュット作品の持つ力を少しでも社会に広げていこうという趣旨に賛同して設けられたもので、作品の電子書籍化や軽装本の形で作品を紹介できないかと、あれこれ頭をひねっている。
財政的に余裕なんてないから、立派なものは無理だけれど、欲しい人には頒布できるくらいのちょっといいもの(知る人ぞ知るイッピン?)、ここでしか手に入らないよっていう感じのものを作る事が出来れば最高。
そんなものができれば、仲間たちの作品が少しずつ世に出ていく道筋が見えるかもしれない。
もう一つの面白いのは、賞状を手作りでという動き。
「上意下達的なかたい賞状はそぐわないね」ということで、選考委員の五島さん(日本で先駆的に学童の子どもたちと牛乳パックの紙作りを始めた人)と電脳書家の菊池光道さんが作ってくれている。どんな賞状になるかはできてからのお楽しみだが、文面はみんなで決めた。
文字数はできるかぎり少なくという菊池さんの要望により、きわめて簡明。
「あなたの作品はアートの力にあふれ、私たちに生きる勇気を与えてくれました。よって、ここに賞します。」というもの。
こうした動き以外にも、いろいろな方々から「次回は、私も出そうかな?」とか「すっかりアートに目覚めて、家事をやらないで描きまくっていますよ」とか前向き?の発言を聞くことが多くなってきた。
こうした余波はこれからも続いていくのだろう。
第一回湘南アールブリュット展入賞者作品展は、12月2日~8日まで蔵まえギャラリーで開かれる。
機会があればぜひ足をお運びください。
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2013/10/25
Vol.132 作品は作者をこえる
前回更新のきょうのくすくす「トウモロコシ電波塔」(第131回)のよこはちさんとワタシの話を読まれて、おや?っと思われた方がおられたのではないかと思う。
どんなことかというと、翔太画伯の乾燥したトウモロコシを描いた絵について、「これは色のパワーがすごい!」とか「仮面ライダーの顔みたい」とか「野菜型のガイガーカウンターじゃないの?」とか好き勝手なことを述べ合った後で、絵の裏を見ると題名が「しなびたトウモロコシ」となっていて、二人の乾燥に肩透かしをかけたようなオチになっている部分。作者がつけた「しなびたトウモロコシ」というしょんぼりした題名とワタシたちの「これはすごい!」というおしゃべりの間に大きなギャップがあって、どう考えたらいいのだろうという質問が何件か寄せられたのだ。
確かに、このギャップは大きい。
作者が想いを込めた作品を誤った解釈でワタシたちが受け取っているのではないかという風に思ってしまうかもしれない。
確かに、そうかもしれない。
でも、それはそれでいいんじゃないの?作品が放つメッセージの受け取り方に正しいも間違いもないんじゃないの、というのがワタシたちの考えなのだ。
どんな想いを作者が作品に込めようと一度完成してしまうと、作品と作者は別人格、独自の存在に変わる。だから、作品は作者を簡単に超えてしまうし、作者の想いを裏切ることもある。
作品は出会った人たちと会話を始める。その会話は一期一会、百人百様、自由奔放、さまざまなバリエーションで、どこまでも広がっていく。その多様さが作品に生命を与えるのだ。
だから、作者のつけた題名に観るもののイメージを限定させる必要はないのだ。そんなことをしたら、かえって作品に失礼でしょう・・・というのがワタシの考えなのだ。
翔太画伯の作品でいうと、(これは画伯が高校生の時の作品なんだけれど)、当時まだマジメな高校生だった彼は、目の前に置かれたトウモロコシを見ながら、ワタシが言った言葉「きょうは、このしなびたトウモロコシを描きましょう。すっかり白くなっているけれど、色をつけて美味しそうなトウモロコシにしてもいいです・・・」を頭にインプットして、自分の作品とは関係なく「しなびたトウモロコシ」という言葉を題名にしたのだろう。(「まだマジメ」といったのは、この頃の絵には、画伯特有のつぶやき言葉が絵に描かれていないからだ。最近の画伯の絵は、つぶやき言葉で埋め尽くされている・・・笑)
この絵に彼の才能を発見したのは、彼の硬い頭を裏切るように、トウモロコシの形や色がどんどん目の前のしなびたトウモロコシを破壊して、奔放なエネルギーを放ち始めたからだ。
ああ、紙面を動く手が自在に動いている・・・そんな驚きがあった。
だから、彼がこの作品に「しなびたトウモロコシ」と題名を描いたのには、少々がっかりだったけれど、かえってそれが彼の絵の才能を感じさせた。
手も作者を裏切るけれど、作品も作者を裏切るのだ。
きっと、それがアートの楽しさのひとつなんだろう。
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2013/10/22
Vol.131 かけがえのないものの行き交う道
10月、
暑かった残暑を追いはらうように北風が吹き、木々が色づいた。
それから台風が来て、雨が降り続いた。
暑くなり、そしてまた寒くなった。
目まぐるしく、入れ替わる季節の変わり目の朝、
自転車で海まで走った。
秋の雲が丹沢の山並みの上空に広がり、ペダルをこぎながら、収穫を迎えた田やイチョウ並木、川面を吹く風に、ボクの身体はだんだん大きく膨らんでいった。
絹のような雲を食べ、足は光る川の感触を楽しみ、幾つもの小さな町や森を見おろして、
遠くに相模湾が見えた。
秋が来ている…そう思うとホッとした。
江の島まで流れる境川ぞいの緩やかな道。
そこは、かけがえのない友人や時間が行き交う道だ。
流れていく仲間たちとの日々や生まれてくる作品たち、
生きているモノや異なる時間を生きるモノたち、
思い出、あこがれ、希望・・・
いろいろなものがいろいろな姿で、この道を行き交う。
時々、息苦しくなると、
ボクは彼らと出会うために、この道を走るのだ。
土手にコスモスが咲いていた。
自転車を止めて、地面に落ちた種を拾う。
4年前、同じようにコスモスの種を拾って、伊豆の小さな庭にまいた。
そこには、その年の初夏に亡くなった母の骨が埋められている。
コスモスの種は母の骨と混じりあい、ゆっくり土の中に沈んでいく。
そして次の秋、コスモスは花を咲かせた。
海に向かう川と母との時間が柔らかな花の形になり、伊豆の風に揺れた。
今年、
ボクはまたコスモスの種をまくだろう。
そして来年の秋、
どんなコスモスの花に出会うのだろう?
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