このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2014/02/28

Vol.165 2月の海辺で



もう2月が終わろうとしている。
時間の速さに押し流されるように海辺に出た。
湘南の2月の海は、きれいな青に染まる。
青空よりも深いBlue。
人が少ないのでとても呼吸しやすい。
深呼吸すると、その青が肺の中に広がる。
足もとには、漂流物が点在している。
海辺は限りなくアナーキーだ。
かって生きていたイノチがモノに姿を変えながら存在している。
干からびたトビウオのエラをつまみあげると、繊細な羽に青空が映る。
海面を飛び跳ねていた鮮烈な生命の時間がそこに残っている。
砕かれたオキナエビスガイ、
螺旋形の夢を見るバベルの塔と呼ばれた貝。
深海を移動するピラミッドのかけらだ。
桜貝はピンクの破片になってもちゃらちゃらしている。
目をなくした海鳥の頭蓋骨から流れる砂
かって犬だった骨
波打ち際の砂にまみれたブラウス
ゆっくり腐敗し、色や形を失っていくモノたちの時間
河口に捨てられた錆びついた自転車
ひび割れたタブレット
ハングル文字の印刷されたおびただしい化粧ビン
虫食いのようなロシア語のプラスチック片
海草の絡らみあった中国のビデオテープ
砂に埋もれたテレビ
ブラウン管に映るアナーキーな世界情報・・・
疲れて目を遠くにやると、ノート片手に辻堂ネコが近づいてくる。
彼は言う。
「モノたちから時間が去ることはないのだよ、ワトソン君。時間は記録されることを求めている」
得意そうに短い手をのばし、ノートを見せる。
蚤が跳ねているようなひっかき線が書かれている。
判読不能ながら、それは太古から未来に続く時間の座標のように見える。
彼は深刻そうな顔をして言う。
「いま記録しなければ本当に世界はやばいぜよ」
(坂本竜馬になったつもりなのか?)
で、ワタシは、しばらく彼についてモノの記録の仕方を学ぼうと思った。(笑)






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2014/02/25

Vol.164 一人じゃ開かない扉をあける



今年はアートワークショップに力を入れようと思っている。
そのことはすでに書いたが、いざ具体的な内容を考え始めると、いろいろな想いが放射状に広がっていく。
ワークショップって言葉はアメリカで隣近所の人々が集まり、公園や集会所をみんなで作ったりしていたことが語源らしい。みんなが集まると、一人じゃできないことができるねとか、一緒にやってると楽しくなるよとか、そんな経験が積み重なって、みんなで何かやることを楽しもうってことになり、いまや無数のワークショップが世界に生まれている。
その無数のワークショップにもう一つフェースofワンダーのワークショップを加えてみたい・・・そんなよこしまな想いもある(笑)。
「じゃあ、一味違うフェーステーストのスパイスとか手法が必要だね」ということでいろいろ考えているのだ。
今年やってみたいのは、いろいろな人(日本人も日本人じゃない人も、お年寄りと思われている人や思われていない子どもも、支援の必要な人も、支援してあげたいと思ってる人も、いろいろ)が、その場で出会い、一緒に何かを表現するワークショップ。
ワークショップのあいだ、ずっと心を開いて共感するってことは無理だから、本当に短い時間、みんなといることが快い瞬間が人一人の中に訪れればいいのだ。
そんな時間を持てたことを仲間たちに感謝する。
ま、そんな、いわば一期一会のワークショップ。
それから、完成を目指さないワークショップ。(もちろん完成したっていいのだけれど・・・)
何か見本があって、それを時間内に作り上げるという目的達成型のワークショップじゃない。(時間切れになってもがっかりしない。せっかく集まったのに、完成のためのルールに縛られたり、時間にせかされるのじゃつまんないからね。)
あれやこれやと試行錯誤の末、独自の想像力や感性が生まれてくる、その過程を楽しむワークショップ。
それから、助け合い、おせっかいも自由、嫌ならいやで拒否も自由・・・「みんなが仲よくとか協力して」ってことを強制しない、一人ひとりがあるがままの自分でいられるワークショップ。
一人の子どもが、その日のテーマとは全然別の活動を隅っこで始めたのが、いつの間にか全体に広がっていたりしてもOKだし、一人ひとりがてんでバラバラに活動しててもOK。
こんなことをいうと、フェースのワークショップってバラバラ、好き勝手なワークショップって思われそうだけれど、違う。(確かに、客観的にはなんでもありで、自分勝手なワークショップって感じで見られがちだけれどね・・・)
たとえ一人ひとりバラバラで活動しているように見えても、それは一人ぼっちの活動とは決定的に違うのだ。
いつもなら、家や学校や職場の中で、自分のポジションにこもり、心の中の扉を一人ぼっちで開けたり閉じたりしているのが、一期一会のフェースのワークショップの場では、あるがままの自分たちをみんなで共有しあい、そのやわらかな場所で心の中の扉を開けようとしているのかもしれない。
その扉は自分一人では開けられない扉なのかもしれない。
そんな扉を開けるワークショップをやってみたい。
(そんな力は、まだいまの自分にはないかもしれないけれどね・・・)
昔、教員をやっていたころ、先生仲間と一冊の本を出版した。
演劇ワークショップの本。
そのタイトルは「みんながいる、それがはじまり」。
そうなんだよなあ。
みんながいる!
それがすべての始まりなんだと勇気づけられる(笑)。






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2014/02/21

Vol.163 雪の日のワークショップ



二度目の大雪が降った朝、家の前の雪かきに汗を流した。
前回の雪は粉状で、雪かきも案外楽だったが、今回の雪は重かった。
気持ちの良い青空の下で、普段は言葉を交わすこともない人々と雪かきに汗を流していると、不思議な一体感が生まれてくる。
雪を削り、雪を積む。
それだけの単純な繰り返しだけなのに、互いの動きやリズムを意識し、呼吸があってくる。
せまい路地に、そんな人々のエネルギーがドラムのように脈うち、雪が溶けていく。
「おお、これって、もう一つのワークショップじゃん!」
そう思うと、腰の痛みも少しは和らぐ気がした(笑)。
その日の午後、ワタシはもう一つのワークショップをやった。
会場の武蔵小金井まで電車で1時間くらい。
駅からの道は雪かきも行われていないので、シャーベット状の雪道になっている。
これじゃあ、参加者は少ないだろうなあと覚悟しながら歩く。
強い陽射しに、雪が溶けて、笑っている。
足もとから、光にはじけるオノマトペの音や歌が聞えそうだ。
一人でも二人でも、ワークショップをしに来た人と楽しめばいいやと元気が出てきた。
結局、雪にも負けず集まったのは16人。
これって、ちょっと驚く数だ。
シャトー2Fカフェのビルに住んでいる紙芝居や豆本をつくっている絵描きさんや人のよさそうな元市会議員のおじさん、それから興味シンシンの目をくるくるさせた親子づれ・・・そうそう、わざわざ千葉から来てくれた社交ダンスのインストラクターをやっている女性もいた。感謝!
年齢も、4歳の女の子から60歳を過ぎているおじさん(多分ね)まで、幅広い。
ばらばらに集まり、ホッとしたように陽射しの射す窓際の椅子に座り、きょろきょろ。
それから、なにやら話が生まれ、地元のアートカフェのやわらかな昼下がりの雰囲気に包まれていく。
こんな風に見ず知らずの人が一つの部屋に集まり、何がはじまるんだろうとワクワクしながら待っている。そんな時間を共有しているだけで、ワタシは十分に満足なのだ。
でも、何かはじめないわけにはいかないので、「おしゃべりな森をつくろう!」を始める。
まずはワタシの自己紹介とフェースofワンダーの紹介。
いつものことながらこれがついつい長くなる。(ワタシはおしゃべりな森のおしゃべりな一本の木なのだ・・・たぶん迷惑な木?)
で、反省しながら話ははやばやと切り上げ、2時間たっぷり、雑巾や指や綿棒や型紙で木を描いたり、森の中に道を作ったり、みんなで遊んだ。 ワークショップが終わり、帰りの電車では冠雪した高尾や丹沢の山影が夕方の橙色の光に浮かぶのを見ながら、ついつい居眠り。
不覚にも乗り換え駅を乗り過ごし、目が覚めると山あいの淋しい駅だったのはご愛嬌。
そんな風に雪の日は暮れた。
*ワークショップ「おしゃべりな森をつくろう!」の内容は、レクルーという月刊誌(日本レクリエーション協会)の4月号に載るので、そちらをご覧ください。
もしかしたらよこはち編集長が、フェースブックに少し載せてくれるかもしれない。






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2014/02/18

Vol.162 風の道



東京に45年ぶりの大雪が降った朝、友人から写メールが送られてきた。
灰色の空にうっすらと雪の積もった裸木、白い道、
道から一段下った暗い庭に黄色の灯りがともっている。
一気に18年ほど前の時間がワタシの中によみがえった。
それは、東京の南端の丘陵地帯にある特別支援学校の三階の教室から見える風景だ。
ワタシは毎日のように、その道を見ていた。
もう若くはなかったが、歩を踏み出す道を失っていた。
いろいろな想いに翻弄される苦しい日々が続いていた。
パラダイムチェンジ・・・そんな言葉が転換期にある世界に流れていた。
生徒たちといる時間だけがいきいきとした色に彩られ、彼らが通り過ぎるとモノクロの時間に閉じ込められた。
その頃から急速にワタシの聴力は失われていった。
放課後になると、窓辺に立ち、音もなく激しくゆれる木々を見ていた。
聞えなくなるかもしれないという不安、
先行きの見えないいくつもの問題・・・・ねじ曲がるように揺れる木々は苦悩のダンスのように思えた。
そんな想いを抱えて、何年ほどその道を見ていただろう?
四季折々に木々はその様相を変えるけれど、木のダンスは一つの主題を謳っているように思えた。
それがある日、風が見えた。
木々の間を吹きぬけていく風。
地に縛られた木々は背景に退き、遥か遠く太平洋から吹き渡ってくる大きな風が見えたのだ。
風は聞こえなくなった耳を通り、もう一つの歌を謳っていた。
何もかもが許されて在る・・・
あるがままに・・・
海からわたってくる、青くふかい息・・・・
深い呼吸。
それから、ワタシは自分のスタンスを少し変えて歩くようになった。
その姿で生きていこうと思った。
ワタシが学校を去る時、全校の生徒や先生に呼びかけ、大きな壁画を描いた。
題名は「風のとおりみち」
いまも風はその道を吹きぬけているのだろうか?






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2014/02/11

Vol.161 武蔵小金井でワークショップをはじめよう!



寒い日が続いているけれど、何となく不思議なにぎわいが遠くから近づいている。
よく分からいなけれど、なんだかウキウキするガチャガチャ感だ。
何が現われるのだろう?
それを考えると、寒さが気にならない。(まだ若いねえ・・・笑)
今年に入って、急に決まった企画が近づいてきているのだ。
今週の日曜日(2月16日pm2:00~)、アートワークショップを武蔵小金井の駅近くにあるシャトー2Fカフェというところでやる。
誰でも参加OKのオープン形式。
一期一会のアートを楽しむ。
その始まってもいないにぎわいの時間が、ワタシの心をドラムしているのだ。
去年は「般若心経展」や公募展「湘南アールブリュット展」の立ち上げなど、いくつかの作品展に奔走していたので、今年は、まだ出会っていない人と顔の見える地道な活動?がしたいなあと思っていた。
で、降ってわいたようなこのワークショップがその第一弾ということかもしれない。
カフェのマスター木村さんに合わせてくれたのは、「くすくすミュージアム」でも時々顔を出す青ネズミのパトリシアさん。青ネズミさんは、自作英語絵本の朗読パーフォーマンスをここでやって、すっかりこの場所が気に入り、ワタシを紹介してくれたのだ。
木村さんと話をするとすぐに意気投合、「ワークショップ、やりましょうや!(関西弁ね)」ということになった。
日野正平に似ている坊主頭のマスターもそうだけれど、会場のシャトー2Fカフェも一見の価値がある。
なんたって、名前も変だし、カフェって顔をしていないのだ。いろいろな地域活動のチラシや作品らしきものが入口をふさぎ、この二階にカフェがあるなんて分からない。
でも、ワタシはこういう場所の面白さは匂いで分かる(笑)。
入り口にたたずんでいると、いろいろな人が出入りし、小金井周辺のホットスポットっていう熱気が感じられる。
おそるおそる二階に上がると、奥には広くて立派なギャラリーもあり、やわらかで自由な空気が流れている。
しかも、出されたコーヒーもうまかった!
で、肝心のワークショップだけれど、どんな人が何人集まるかもわからないので、いかようにも対応できるように、幾つかのグループに分かれて共同制作で「おしゃべりな森をつくろう!」というタイトルにした。
雑巾と型紙と色鉛筆で自由な森を作る。
どんな森が現われるかは、その時の雰囲気次第だ。
そのアートレシピが知りたい方は、くすくすミュージアムのfbによこはち編集長が掲載してくれるそうなのでそちらをご覧ください。
参加申し込みはシャトー2Fカフェのマスター木村さん(090-3452-2407/mail:chateau2f_café@yahoo.co.jp)まで。
小金井近くのお知り合いの方にもご紹介いただければ有難いです。
2月16日、新しい出会いが持っています!
*今年は各地でゲリラワークショップをやるつもり。皆様の地域でもやりたい方は声をおかけください。






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