2012/09/14

絵本をそだててみてください



とても愛着を持っているフェースofワンダー絵本?がある。
15cm四方のボール紙に描かれた
5枚の絵を蛇腹に貼り合わせた小さな絵本。

でも言葉もタイトルもまだない。
生まれて3年ほどたっているが、
どんなストーリ、表情の絵本になるかわからない。
私は、じっと絵本が成長するのを持っている親の感じ。
で、ここに紹介して、こんな話にしたら?とか
こんなタイトルでどう?とか、みなさんの意見を聞いてみたくなりました。

若干、絵の説明をしておくね。

まず1枚目の絵

川沿いの道に男の子がカメラを構えて、何か言っている。
なぜか男の子の左手に釣竿、糸の先にはミミズ?がついている。
足下の土手はミミズの行進?

2枚目

3人の子供が棒を持って走ってる(歩いてる?)。
頭上には青トンボ2匹。背景の空と川面には光がひび割れている。

3枚目

自転車に乗ったリトルピープル(村上春樹の「1Q84」みたい?)と
7時をさした古時計、棒を持った男の子。ミミズが地上に上ろうとしている?

4枚目

ベンチに座って何か企んでそうな悪がき?風の3人。
やっぱり棒を持っている。
頭上に「ブラックペッパー」の看板?(黒コショウ団かな?)
ミミズがあわてて土深くに潜り込もうとしている。

5枚目

道の反対側から、男の子と女の子が、棒を持ってやってきている。
頭上には青トンボ。

どうです?
何かストーリーやタイトルが浮かびましたか?
もし浮かんだら、ぜひ当館まで、ご連絡ください。

メールを送る

絵の順番を変えても、もちろんOK!
面白ければ、カフェなんかに置く小さな絵本や電子書籍にしてもいいですね。

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2012/09/11

二本の草



9月の初め、小さな二人の兄妹が絵を描きに来た。
妹は来年小学校に入る。
兄は来年中学校に入る。
柔らかな埴輪のような表情で私を見上げ、
二すじの風のような挨拶をしてくれた。

それから、すぐに絵を描き始めた。
なんのためらいもない。
水が流れるように手を動かした。
妹は、二人の女の子を色鉛筆と絵の具で描いた。
大きな目と元気よく跳ねる髪、オレンジとピンクの言葉が、
何かを私に言っていた。

兄は、犬を描いた。
緩やかで大らかな曲線に縁どられた犬。
彼は赤い絵の具で色を塗り、
犬は私なんか見向きもしないで、楽しそうに走っていた。

私は紫色のブドウを妹の前において、
「描いてください」と言った。
妹は、うなづいてパレットの上のピンクでブドウを描いた。
ブドウはピンクのチェロように音を奏でていた。
兄は、新しい紙を取り出して、青い機関車を描いていた。
紙いっぱいに駅舎と煙をふく蒸気機関車が走りだそうとしていた。



部屋に窓はないけれど、
淡い光が並んで描いている兄と妹を包み、
二人は土から芽を出した二本の草のようだった。
このまま、みずみずしく、
自分の形に伸びていってくれることを
願わずにはいられなかった。

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2012/09/07

地球と共鳴する



Aさんは、緑系の色が好きだ。
いつも草色の色鉛筆を持って、
指を細かく泳がせるように画布に細い線を描いていく。
友達が描いている色鉛筆の中に緑があると、それも欲しくなってしまう。
パステルの緑も好きで、画布に描いては、指で色を延ばし、
緑を味わうようになめることもある。

色と遊べる力を持っていて、
海辺で拾ってきた流木にAさんが何か歌うように微笑みながら色を塗った時も、
あっというまに木に生命が戻ってきた。
作品にはなかなか結実しないけれど、根っからのアーティストなのかもしれない。

そんなAさんが、重症の偏頭痛に悩まされている。
最近、地球規模で頻発する地震のや台風に影響を受けているらしいことが、
お母さんの記録や通っている病院の担当医らによって分かってきた。
それは突然、訪れる。
快調に動いていた手が止まり、緑色のペンを投げ出すと、頭を抱えて叫びだす。
何か目に見えないものを感じ、体全体で受け止め、振り絞るような声を出す。
とても苦しそうに見える。

Aさんの苦しみに、私は何もできないけれど、
もしかしたらAさんは私たちの理解を超えた力を持っていて、
何かを伝えようとしているのかもしれないと思い始めている。

最近届いたお母さんからのメールを紹介する。

「きのう、帰るころから雲行きが怪しくなりましたが、そのあとも落ち着かなくなり、
やっぱり地震でした。次の日の早朝、宮城沖M5.7、震度5強です。
たまたま揺れましたが、揺れとは関係なく、東南アジアのM5以上も察知します。
今は、偏頭痛予防薬を常用していますので、前のように絶叫騒ぎは少なくなりましたが、
何も感じなくなったわけではなく、本当に地震、台風が悩みです。
こういう子に対する理解者が少ないのも悩みです。」

「Aがあのように落ち込むと、周りからは『やる気がない』とか
『わがままだ』とか思われてしまうので、いつも辛い思いをしています。
でも、世の中の現象で、科学的に証明されていることなど、まだほんの一握りで、
本当は人間には分からないことだらけのはずなのに、
何でも分かっているような気になっているだけで・・・。
そういう思い上がった気持ちが、
人間にはどう処理することもできない原発などを乱立させる世の中になった気がします。
地球なんてAに言わせれば、ちっぽけな球体にすぎません。
だって、台風だって、地震だって、国境を越えて、簡単に察知してしまいますから。
大地も、空気も、海も、全部つながっていることが、Aには分かっているのでしょう。
もしかしたら、Aが、本当は一番、真理に近い存在かもしれません」

Aさんの声は、地球に共鳴する大切なメッセージなのかもしれない。

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2012/09/04

夏がのこしていったもの

長かった夏も盛りを過ぎ、
朝夕にふっと秋を見ることが多くなってきた。
子どもたちが帰った公園や路地をふきぬける風、
少し長くなってきた影法師のなかに、秋は姿を見せる。

日差しが傾くと、散歩に出る。
足元を見ると、虫の死骸が散乱している。
ミミズやこがねむし、シデムシ・・・いろいろな虫たちが転がっている。



しゃがみ込んで見ていると、肉片の残っている死骸にはアリたちは集まるが、
乾燥しきったセミの抜け殻やミミズは人気がない。
アリたちの残していった甲虫類の無機質な手足や羽、
ねじ曲がった釘のようなミミズの形を見ていると、
そんな奇妙な入れ物に生命が入っていたことが不思議な気がする。

ムシの生命たちはどこに行ったのだろう?
シデムシの体の中に入っていた生命は、
シデムシの顔をしていたのだろうか?
ミミズの中にいた生命はミミズの身体をしていたのだろうか?

いろいろなことを考えてしまう。
身体は器にすぎないけれど、きっと生命はもっと変幻自在な別のものなんだろう。
仲間たちの作品を見ても同じようなことを思う。
細い手足をしてひ弱そうに見える人が、とても力強い線や渦巻くような色彩を描く時、
きっとこの人の生命が画布にあふれているんだろうなと思ってしまうのだ。
それが仲間たちの生命の声や顔なんだろうと思う。

宮沢賢治に「何と云われても」という詩がある。

何と云われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである

賢治の生命は、ときどき山ぐみの木に変身なんかしてたのかもしれない。

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2012/08/31

空のあお、海のあお

「これって何色?」聞くと、黙って窓を指さす。
指先の向こうには、薄曇りの夏空。
しばらくすると、紙面に青が広がり始める。
空も雲を割って青空が広がり始めている。

きょうの彼の絵は、とても静か。
15cm四方にも満たない青がゆっくり流れている。
彼はイメージで色を選ばない。自分の感じる色だけを塗っていく。
具体物は描かない。使う色も限られている。
空と水がテーマだ。



コップに満たした水を描いた時は、絵の具を使わず水だけで描いた。
海や川を描く時は、グラビアの写真なんかを見て描くことになるが、
絵筆を持つ手は重い感じがする。
そこには空を描くような、色の移ろいがない。
塗り終えるとじっと見つめている。
何もしない。
本当に絵を描くのが楽しいのかどうか、私にはわからない。

ある日、みんなで海に行った。
絵を描きたい人は絵を、
貝や石を拾いたい人は海辺のビーチーコーミングに。
彼は砂の上に座ると、すぐに青で画面を2分割した。
わずかに違う2層の青。
それをじっと見つめ、ときどき色を塗り重ねていった。
帰るとき、彼の描いた紙は、
たっぷりと水を吸い、乾燥し、波打っていた。
そんな紙そのものが、彼の作品だなと思った。

学校を卒業した彼は東京を離れ、
私は彼と絵を描く機会を失った。
ときどき、夏空を見上げたり、海辺を歩くと、
彼の青(あお)を思い出す。



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