このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2014/08/08

Vol.210 線の幻想から



一本の線を見ていると、
時々、過剰な幻想に誘われることがある。
一本の線は枝分かれし、無数の根毛のように地中深く伸びていき、
太古から秘かに地球の物語を記録し続けている地下の図書館にまで至る。
既に人間の身体を失っているワタシは、伸びていく線の先端で分裂を繰り返す幾百万もの目になって、微生物や地上からの科学物質が岩に刻む無数の文字・記号を読み取ろうとしている。
岩に描かれている様々な言語を読み解いていけば、再び還ることはできない一線を越えてしまうだろう。
そんな幻想である。
一本の線には始まりも終わりもない。
晴れた朝の水平線
夜空の星の動き
繰り返す波のうねり
実はそんな線とつながっている。
きょう、仲間が描く線は、仲間の指が持つ色鉛筆が紙に押し付けられた、その瞬間に生まれた線ではない。
フェースに来る前の信号で、青に変わるのを待ちきれず飛び出そうとした時のドキドキやコンビニで欲しくてたまらないカードを見つけた時のワクワクや不意に思い出す作業所や学校や家で叱られたニガニガとつながっている。
そんな風に丹念に一本の線を辿っていけば、
それはきっと君にもつながっている。
きょう、
ワタシは森を歩いていて玉虫を見つけた。
玉虫は暑い地面の上で群がるアリに苦しんでいた。
ワタシはそれをつまみあげ、夏の空にかざした。
もう空を飛ぶことはない緑色の生命が陽射しに輝きながら飛び立っていった。
生きていること。
森の中の風や葉擦れや鳥の声、いくつもの生死も、ワタシの手足につながっているのだ。
そう思うと、手のなかの玉虫がたまらなくいとおしくなった。






△ページトップへ戻る

2014/08/05

Vol.209 夏の夜はアナーキーに更けてゆく



暑い夜、
借りている作業所に仲間たちが集まってきた。
一人ひとりがコンビニで買った晩飯を白いビニール袋に入れて、ニッと笑う。
それで、なんとなく空気がやわらぐ。
座る場所もいつのまにか決まってしまっていて、それぞれがてんでにスパゲティーやラーメン、冷やしうどんなんかを取り出して食べ始める。
夜の作業所の中にいろんな食べ物の匂いが流れる。
ズルズル音を立てながら、絵を描きはじめる人もいれば、湯気の立つカップラーメンを30分も見つめ続ける人もいる。
「もう、食べていい?ねえ、食べていい?大丈夫?」誰に言うこともなく、声をあげては食べるきっかけを探している。
食べ終わった仲間は「きょうは何を描こうかな?歌にしようかな?」と言いながら、紙に直接絞り出した銀色の絵具を先の乱れた筆でぐいぐい伸ばすように線を描いていく。
遅れてきた仲間は、とつぜん音を立ててドアを開け放ち、オーディオに駆け寄り、パフィーの賑やかな曲を大音響で流し始める。
「うるさあい!」「もっと、ちいさくして!」
抗議の声が飛び交うが、全く無視。
夏の夜は、そんな風にして自己主張の時間が流れていく。
で、ワタシはというと、
仲間たちの描いた絵を額に入れては、「これどっちが上なのかなあ?この方がいいかなあ?こうだと水面にみえるな」仲間たちの喧騒から離れ、一人遊んでいるのである。
すると、「ワタシは横の方がいいな。ピアノみたいに見える」
仲間たちと一緒にもう10年以上フェースに付き合っている祥子さんが、遊びに加わってくる。
ピアノ!?なるほど言われてみれば、そのように見える。
「湘南vividアートはこの絵でいいよね?」
「いやあ、ワタシはいま描いてる絵の方が好きだなあ」
彼女が指差した方を見ると、歌を描くと言っていたKの銀色の線がパワーアップして、腕を伸ばして鍵盤を叩いている人物のように立ち上がっている。
「わあ、これは凄い!ピアノ弾いてるよ」
絵をみんなに見せると、Kは嬉しそうにうなづく。
「ホント、スゴイなあ」うどんをすすっていたHさんは一枚の絵を持って近寄ってくる。
「ボクの描いたものと似てるけれど、全然違うなあ」
絵を並べて、感心したように言う。
それは、海辺で壊れたピアノを弾いている世捨て犬の絵だ。
「そういえば、Mさんもピアノを隅っこに描いてたねえ」と遠藤さん。
Mさんは横眼でチラチラ、私たちを見ながら、まだ伸びた麺をすすっている。
そんな仲間たちの作品をピアノの上に並べてみると、なかなかいい。
それぞれが自己主張して、凛としているのだ。
で、ワタシは一人、感心する。
夏の夜のフェースでは、いろいろなものが好き勝手に干渉し、絡み合いながら、カッコいい作品(ヤツラ)が生まれているのである。






△ページトップへ戻る

2014/08/01

Vol.208 つながりあうもの



アートワークショップをやっていて
見えてきたというか、考えざるを得ないものが
少しずつ焦点を絞るように浮かび上がってきた。
それは、とてもおぼろで、やわらかく、
すぐに消えてしまうようなものだけれど、
それをつかんでしまえば
みんながなんとなくいい時間を過ごしたなあって思えるような、
そんな、
ささいだけれどちょっと大切にしたくなるものだ。
それがやっとみえてきた。
それは、「みんなとつながる一瞬」だ。
ワークショップに集まってきた仲間が一人ひとり自分に向き合い、何かを一心にワークしている時、それは現れたりもするし、
出来上がった何かを持ち寄って、みんなで組み立てているときに現れたりもする。
決して計算どおりには現われてくれない。
部屋を陰らす雲の動きのように、不意に現れ、いつのまにか過ぎて、終わってしまってから気づいたりする。
それが現われるかどうかが、ボクのアートワークショップの醍醐味なのかもしれない。
それが現われる道筋のようなものを考えているのだけれど、
そんなものはないという結論ばかりが見えてくる。
でも、現れるためのある種の条件作りは必要なんだろうということは分かる。
それは何でもありで、評価なんかを気にせず、出来上がろうと出来上がるまいと、
一期一会で集まった仲間たちと、同じ時間を共有する・・・
それだけでいいんだという空間が生まれているかどうかということだ。
自由感に浸されるとか、
心を開いているとか、
一人ひとりの楽しさを交換するとか、
そのために何をやるかということだ。
何かをやるために集まったのではなく、みんなとつながりあう一瞬を味わうために集まってきたんだということだ。
もしかしたら、
生まれてきたということもそうなのかもしれない。
そう思ったら、
背後で突然、野太い声がきこえた。
「ソンナコトニ、ヤット気ヅイタノ?」
夏の防砂林の中で、
ワタシの師のネコがうちわ片手に寝そべってつぶやいている。






△ページトップへ戻る

2014/07/29

Vol.207 スコールが過ぎていく



日曜日の午後、
武蔵小金井のアートスポットの一つ、シャトー2Fカフェで、ワークショップをやった。
ここでは10回の連続ワークショップをやる予定でこの日は5回目。
駅を降りると夏の強い陽射し。
粘ったような熱気に包まれると息をしているような感覚がない。
日陰を選んで歩いていると、何やらいい匂いが漂ってきた。
午前中は橋本で仲間たちとアートをやり、それが終わると何も口に入れないまま電車に飛び乗ったので、すきっ腹にグッと来た。
辿っていくと、大きな欅を中心にした広場に出て、匂いはその周りに並んだ屋台から流れてきているのだった。
「東北名物・焼きウニ 一皿600円」という手書きの看板。
小さなプラスチック皿に黄金色のうまそうなものが並んでいる。
で、とりあえず一皿注文。
木陰で食べていると、広場ははっぴ姿の若者が往ったり来たり。
夏祭りの準備の真っ最中なのだった。
「夕方、阿波踊りやるんだよ。よかったら踊っていきな」屋台のおやじが声をかけてくる。
暑い風が吹いてくる。
シャトー2Fカフェでやったのは、「瞳を描く」というワークショップ。
3歳の女の子から60過ぎのおじさんまで、画用紙にそれぞれの目を描き、瞳に映るものを描きこんでいく。
目は不思議な形をしている。
漂う葦船、
熱帯雨林の森の中に生えている種子、
眠る赤子の揺りかご、
やさしい夢、
いろいろなものが浮かんでくる。
30分ほど描いていると、とつぜん大きな雷鳴が南面の窓ガラスを震るわせた。
街路樹が揺れ、みるみる陽射しが陰っていく。
暗い空を光が走る。
それから雨が音を立てて降り始めた。
カフェは雨音に包まれる。
みんな、描く手を止め、外を見ている。
「きょうも凄いよ。毎日だもんね」
「これで涼しくなる。雨上がりの道は気持ちいいよ」
「地球はどうなっちゃったんだろうね?こんなスコールみたいな雨が当たり前になってきたよ」
「外に出ちゃだめ?」
「ダメダメ」
なんだかみんなホッとしたような気持になって、眺めている。
やわらかな時間。
夏のワークショップの午後、
街をスコールが通り過ぎていく。
部屋の中には不思議なものを見ている目が生まれる。






△ページトップへ戻る

2014/07/25

Vol.206 ビートルズを描く少年



彼と会うのは6週間ぶりだった。
中学一年生になり、身長も伸び、顔つきも少年から青年になり始めている。
目がチラッと合うと、「やっ!」って感じで言葉抜きのクールな挨拶をしてきた。
それからすぐに目線をはずし、窓辺で遠くの空を見ていた。
幼虫が繭から脱皮するように、
彼も本来的な彼に向かって脱皮をし始めているような、まぶしい気がした。
それから取り残されていく、ちょっと淋しい感じ。
「ずっとこんな絵を家で描いていたんですよ」
彼に付き添ってきているお母さんがF4サイズの青いスケッチブックの絵を見せてくれた。
描かれていたのは、ビートルズ。
「きょうのくすくす」の168号でも紹介したが、ビートルズは小学生のころから彼のお気に入りのテーマだ。
その新しいビートルズに釘づけになる。
過剰な線が一斉に動きだし、絡み合いながらビートルズの音と形を作りだしている。
激しいリズムが響いている。
コントロールされることを嫌うまっすぐな想いと
素早く走り抜けるたくさんの線群がスパークしている。
黒々とした線によって穿たれた紙に、音は地雷のように埋められている。



「毎日、描いてるんですよ」
お母さんの言葉に、どんどん深化していく彼の姿が浮かぶ。
6月12日、6月24日、
7月4日、7月5日、7月6日、7月7日、7月8日・・・
作品の裏に描かれた日付を見ていると、
わずかな期間に濃度を増していく絵のスピードに圧倒される。
森の中で一斉に鳴きはじめたセミの声を見ているような幻想に囚われる。
きっと人生の中にはそんな時期があるのだ。
何年も地中の暗闇にいて、ある日、その瞬間が訪れる。
何かの声に誘われ地上に出ていくと、光が彼を包む。
ゆっくりと脱皮がはじまる。
新しい彼が姿を現す。
彼と会わなかった6週間が、そんな時期だったのだろうか?
きっと、そんな脱皮を何回か繰り返しながら、
彼は本来的な彼に近づいていくのだろう。
変わっていく彼を、ワタシはいつまで見ることができるのだろう?
そんなことを考えると、ビートルズが聴きたくなった(笑)。






△ページトップへ戻る