このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2015/01/23
Vol.255 海上翁の言葉
冬晴れの1月18日、海辺近くの茅ヶ崎美術館を訪れた。
井上有一を国内外で紹介してきた海上雅臣翁の話を聞くためだ。
翁は、85才。
もしかしたら、ワタシが翁の話を聞ける最後の機会になるかもしれないという想いで、
現在開催されている「井上有一/湘南の墨跡」展の記念講演の話を聞いた。
翁の話し方は長江を思わせた。
忘れてはいけない言葉が、黄濁した水中の巨大な魚影のように浮かび上がり、消えていく。
ゆっくりした大きな時間が翁の身体の中に流れている。
有一というとんでもない表現者と出会い、その出会いが翁のその後の生き方を作っていったことを淡々と話しながら、有一が逝って30年、いまなお有一と対峙しつづける翁の迫力が、満席の会場を圧する。
翁のかすれた声の向こうには、スクッと立つ有一の後背や描線が骨格のように透けている。
翁も有一の線のように存在しているのだとワタシは心打たれた。
講演が終り、質疑の時間になった時、ワタシは手を挙げた。
ワタシは二つのことを翁に聞いておきたかったのだ。
一つは、翁の軽井沢の山荘にロッキード疑獄の収拾に携わった当時の首相三木武夫が訪れた時、床の間に飾られていた「貧」という文字を見て、「人はこれでなくちゃいけないんだ」と感想を述べたのに対し、有一が「だから、この文字はだめなんだ!」と憮然と言った話を引き合いに、有一の「貧」とはなんだったのか、最終的にはどこに到達したのか?ということについて。
もう一つは、翁から見て、有一の作品が現代に伝えるもの、有一の作品に触発され自らの表現を問い直そうとしている若いアーティストにとって、それは何なのか?という二点であった。
翁の答えは見事だった。
結論から言えばワタシの二つの問いは、一つの答えに円環していた。
一つ目の答えに対しては、政治家の教訓になるような書は有一の求める書ではなかったということ。知識や理性によって解釈される書ではなく、ただそこに存在する線、まっすぐに書かれた一本の線、それを最晩年の有一は書いていたと翁は、「月」や「上」などの書を示して語られた。
二つ目の問いに関しては、「分からない。有一の作品を解釈して、現代に伝えるものはなにかという問い自体が愚かだ。」と切って捨てられた。翁はワタシが関わっている障がいのある仲間たちの表現にも触れられながら、所詮、解釈は出来合いの知識、頭によって理解しようとするものであって、有一の書はそうした解釈を拒否している。もともと分かるもの、理解するものじゃないんだから。それが有一作品のすごさだし、いまも生き続けている力なんだと語られた。
解釈されるために有一作品は存在しているのではない。
有一作品が時をこえて生きるとはそういうことだったのだ。
翁は、今年11月に湘南で開催する「現代を生きる井上有一展」のことを知っておられて、
最も大切な骨のようなものをワタシたちに託されたのかもしれない。
別れ際に、握っていただいたぶ厚い掌と
「楽しみにしてるから・・・」という言葉のあたたかさが忘れられない。
2015/01/20
Vol.254 種の中に眠る
年賀状代わりのメールで昔の愛人の写真が送られてきた。
ん?
いや、そんな艶っぽい話じゃない(笑)
バスケットの中に丸くなって眠っているネコのことだ。
別れて8年になる。
スレンダーだった肢体も、いまはワタシと同じように丸い曲線を描いている。
眠っている。
ああ、本格的に、
無様に、
安心しきって・・・。
若い頃は、人間嫌いでピリピリした波長を絶えず周囲に発信していたのに、
なんだよ、
なんて思いながら、あたたかい気持ちになった。
無防備。
守るものも、もうなくなったのだろうか?
あるがままのものに包まれ、
夢を包み込むように、
安らかに眠る、
その美しいかたち。
自分は、
そんな眠りを眠ったことはあるのだろうか?
母の胎内にいた頃の、
まだ海と生命が境界を持たず、
行き来していた頃の眠り・・・。
お前の眠りを見ていると、
ボクも
あるがままの自分を探してみたくなる。
そんな旅に出る時が来たのだと思う。
お前は眠る、
無様に、
あるがままの形で、
お前の種子に包まれ・・・。
お前の夢は
ゆっくり成熟し、
燃焼し、
ゆっくり朽ちていく、
お前とは違った、
もう一つの種子を残して・・・。
2015/01/16
Vol.253 川をくだる
美空ひばりの「川の流れのように」じゃないけれど、
川の道を海まで下って行くといろいろな事が浮かんでくる。
冬晴れの硬い青空の日には、川は光の転がる道のように思えたり、
雨雲の立ちこめた暗い日には、川は悲しみや不安を運ぶ辛い人生の道のように思えたりする。
ボクがいま住んでいるところから、海辺の小さな仕事場までは自転車で走ると2時間近くかかる。川沿いの緩やかな道だ。
運が良ければ、住宅街近くの2つのポイントでカワセミが見えたりする。
日差しを受けた青緑とオレンジ色の体は、冬の川岸ではとても目立つ。
水面の上を日差しのプリズムのように輝きながら一気に30mほど飛んで、葉を落とした木々の間に隠れ、それからまた不意に現れ、川を下って行く。
切れ味のいい飛び方だ。
気まぐれで自由。
それを見ていると、ボクは仲間の絵をいつも思ってしまう。
思わぬ線やタッチ、色で描かれる絵たち。
それはいつもボクの既成の価値観を覆すように「えー!」って姿で現れ、「フフフ」、含み笑いを残して消える。
蛇行する川原では、五位鷺やアオサギが首を垂れ、胸元や水面に影を落としてじっと静止していたりする。
寒い北風の吹く午後、その姿は、絶不調に陥ったKさんや夏から突然姿を見せなくなったHさんを思わせる。
声をかけるまで、ほとんど動くことのない色鉛筆を持った手の影やかたくなに電話に出ようとしない受話器の向こうの呼び出し音の暗闇、
ボクには入っていくことのできない場所・・・。
川口近くでは、葦群れが風を引き裂くように枯れた茎や葉を揺らせている。
風は繊維のように、緩やかで柔らかくなり、
一枚の古布のように織り上げられ、
水面の浮かび、ゆっくり海に向かって流れていく。
ああ、そんな時もあったとボクは仲間たちと共同画を描いた日々を思い出す。
ピカソやマチスやミロを、
不思議な記号や女の裸体を、
川面の輝きのように笑いながら、
水中を転がる石のように
体や心をぶつけがら描いた、
若かった日々を思い出す。
今年、川沿いの道をボクは何度行き来するのだろう?
2015/01/09
Vol.252 風を探す
吹き抜けていくものがある。
とどまることはない。
昨夜、フランスでは370万人を越すデモが行われたとテレビが報じていた。
表現の自由と信教の自由、さまざまな文化、価値観の違いを乗り越えて、人びとが共にいきる寛容の世界を求めて、多くの人びとがパリの共和国広場に集まっていた。
そこには、熱い風が吹いていた。
その確かな熱にボクは手をかざした。
時間や場所を超えた、果てることのない願いのようなものが風になり、パリから遠く離れた極東アジアの端の小さな町に生きている自分にも吹いてきている。
そう感じると、ボクは自分が勇気づけられ、もう少し生きていけるような気がした。
深夜、浅い眠りを眠りながら、ボクの中に生まれた熱は南アジアの海辺で点滅するテレビの画面を見ながら居眠りする疲れた少年や崩壊していく山あいの村の小さな店の片隅でラジオの短波放送をきいている少女たちの夢と同調して、暴力と憎悪と差別に傷ついた世界がもう一度生き直す夢をみた。
早朝、海辺に出た。
波打ち際を歩きながら、無意識に漂流物の中に昨日の熱い風を伝えるものを探していた。
それは、もしかしたら小さな瓶のかけらや突き出した手のような流木だったり、アラビア文字ような青い模様の貝殻かもしれない。
それを見つけ出し、ボクは昨夜の風を感じた無数の人々に、メッセージを送りたいと思った。
あの共和国広場に生まれた熱はとどまることのない、
絶えることのない風だというメッセージ。
時を超え、はるか昔から吹いていた風、
絶えることなくこれからも吹いていく風、
その風を信じて、
アジアの片隅で生きるボクも生きていきたいという想い。
そんなメッセージを見つけていくことが多分、これからのボクを生かしてくれるのだろう。
日差しが強くなると、海辺の澄んだ光景にくっきりとした影が生まれる。
強い北風が波頭を切り取り、水が光の粒子のように輝く。
風は砂の上にも不思議な文字を記している。
それは誰からのメッセージなのだろう。
2015/01/09
Vol.251 ライオンが吠える
ことしのフェースofワンダーのアート初めは6日だった。
朝、起きると「近づいてくる低気圧で関東南部は強風、夕方に激しい雨、その後は急激に冷えるでしょう。傘や防寒にご注意してお出かけください。」と天気予報士のおねえさんがにこやかにテレビで言っていた。
寝ぼけまなこでゴミ出しに出ると、おねえさんのご託宣どおり、狭い通りを南風が吹きわたっている。
大きなゴミ袋を両手に持った身体はふらふら状態。揺れているのはワタシだけじゃなく、木々も看板も、電線もムンクの叫びのように揺れている。
通りは、自転車の倒れる音やプラスチックの箱が転がり、わくわくするような混乱・酩酊状態、無秩序警報が町を走り回っている感じなのだ。
すわ!冬の騒乱か?
見上げると、案の定、西の空に山のような黒雲がうねっている。
その雲間からなまあたたかい風が吹き降りてきている。
それが、みょうに生臭いのは生ゴミのせいではない。
雲の上にとてつもなくでっかい何かがいて、それが大きな口を開けて吠えているからだ。
その息がくさいのだ。
「歯、磨けよ・・・」
思わずそんなことを口走り、そそくさと家にかけ戻った。
雨が降り出したのは、お昼過ぎ。
叩きつけるような雨で、風は北風に変わった。
空で暴れていた何かは去っていった。
アートは6時から。
雨上がりの暮れた道を自転車で会場に向かった。
すっかり寒くなり、車やネオンの灯りが砕けたガラスのように輝いている。
ガチガチ震えながら、朝の、あの躁状態の時間は一体なんだったのだろうと考えながら走った。
その答えは、夜の仲間が教えてくれた。
ここのフェースは、昨年の11月に生まれたばかりで、小学生から高校3年生までの4人という小さな集まり。今回で4回目。仲間たちのこともよく分かっていないけれど、平日の夜に集まってきて、彼らはしっかりマイペースで自分たちの線や色彩や形を楽しんでいる。
(土日じゃなくて平日にこんな風な集まりが持てるっていうのも、フェースが仲間たちの生活時間に根づきはじめているような気がして、実はワタシも楽しいのだ。)
そのメンバーの一人、六年生のひろあきさんが描いたのだ。
なにを?って、いやライオンをさ。
その夜のひろあきさんは特別に元気で、ジャンプしたり、走り回ったりしながら、身体の中に現れるライオンを何匹もぐんぐん描いたのだ。
いいんだよねえ、そのライオンくん達が。
ひねたおじさん顔や握りつぶしたおにぎり顔、しましまボデーやエボラ熱風の水玉ライオンくんもいたりしてさ。
そんなライオンを何匹描いたのだろう?
最後に緑と青のマジックで描いた8匹のライオンを見て、あっ!と声をあげそうになった。
そいつらが一斉にこちらを見て吠えているのだ。
今朝、黒雲の向こうにいて吠えまわっていた奴らだと直感。
おおきく開けた口からは、あの生ぐさい息が匂ってきそうだ。
それを見ていると笑い出したくなった。
初笑いである。