このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2015/02/27
Vol.265 溶けていく時間
そら ね ごらん
むかふに霧に濡れている
蕈(きのこ)のかたちの小さな林があるだろう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずいぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでいるのだよ
ここいらはふきの花でいっぱいだ
宮沢賢治「林と思想」
この感じ、
とても分かるねえ
君のなぐり描きの重なり合った色の向こうにも茸(きのこ)のような森があり、
冬毛になった長い灰色の毛髪に包まれたボクの頭も、煙るような蕈(きのこ)の森だ
見えない菌糸がフェースの部屋を流れ、いろいろな想いが溶け込んでいる
たいくつすると
くじらは ときどき
島にばける
するとたちまち くじらの背中に
川があらわれ樹々がしげり花が咲き
風がそよぎ雲なども浮かんだりする
オトナシクシナイト巣カラオチルヨと
親鳥がヒナを叱る声もきこえるのだ
――おだやかな宇宙を背負って
くじら うっとりして
うつらうつら うつらうつら
工藤直子「だれかな?」
君もときどき白熊になったり、三角形の目をしたいじわるうさぎになったりする
氷の上に立って、近寄ってくるカモを待っていたりする
でもボクはカモられないよ
ボクは青い手やマス目のビンの間をネオンサインのように泳ぎながら
少しずつ溶けだしていく
まだできたばかりの熱い海にふる酸の雨に濡れながら、小さなあぶくになっていく
フェースの仲間たちの頭上には宇宙が広がっていて、
ふわふわ浮きながらただよっていると
うつらうつら うつらうつら ボクもねむくなる
仲間たちの指先から溶け出していく線や色彩の果てに行ったものはまだ誰もいない
2015/02/24
Vol.264 僕は物語を語りました
春一番が吹いた。
年をとったボクはじっとしていられずおろおろ風の中を歩いた。
手には翔太さんが描いた小さな作品。
それを川辺に座ってじっくり見たかったのだ。
浅い川なので、水は光と混じり合うようにながれ、植物や魚や鳥たちが生き死にを繰り返している。
そこには哀しいもの、辛いものは何もないようにみえる。
浅い緑に染まり始めた土手に座り、翔太さんの作品を見た。
IT製品の緩衝材、凸凹状のボール紙に描かれた不思議な絵。
裏返すとこんな文章が書かれている。
「物語のタイトル/目と星と模様たち」
ある夜のこと。でかい星が2個浮かんでいます。周りには月や星が並んでいることも。目は4体ほどいてさりげないりんかくの線が付いていますよ。さらに女性が好まれるハートがいっぱい。そして俺はこう言いました。最初はボールペンで下書きをし色鉛筆だと弱いんでサインペンでぬりましたが暗くてわかりませんでした。そして今日、修生ペンで線を入れたあと、ドライヤーで乾かしてからカラーサインペンで線を入れました。「すごい色だね」と褒めながらたたえました。「一色ばかりだとつまらないからね」と後悔してしまう時もありました。けれども一つの色にこだわるのではなく違う色にとりこもうと快速だなあ。バスケットゴールを想い出したんでそれを書いて見ました。すると「あみあみが付いてる」と言ってましたね。金子光史先生からは「最初は暗くて分かりませんでした。でも修正ペンを書き始めた時は線に沿って書いてるからね。カラーサインペンで修正ペンの線から一つ一つの色を書き始めている。すごい色だと興味津々な先生。まさに興味深いもんだと言われます。本当は(色)鉛筆で書こうと思ったんだけも書けませんでした。↓がっくり。僕は物語を語りました。 2015年2月14日 翔太
読み終えると水面を見た。
風が強く吹くたびに、水面の色調がわずかに変わるのに気づく。
翔太さんの文章もそんな風に刻々と変化しながら物語を刻んでいる。
「目と星と模様たち」を描く物語。
あらためて絵を見る。
アラビアンナイト風の不思議な模様。
星と三日月とハートが絡み合い、刺皮動物がうごめいているようだ。
目は4体じゃなく、ボクには少なくとも6つ見える。
なぜかポツンと描かれたバスケットゴール。
それは君のように、みょうにクールだ。
2015/02/20
Vol.263 枯れ木の文字
今秋に開催する「現代を生きる井上有一展」のプレイベントの一環として、オリジナルな筆を作って、書に挑戦するワークショップを3月7日に予定している。
そのオリジナルな筆のイメージに四苦八苦している(笑)。
なにせ、あの有一を現代によみがえらせようというワークショップなのだ。
単なる筆の代用品ではつまらない。
太古から書のために試行錯誤され、洗練されてきた毛筆とは対極にあるもの。
意のままに、滑らかに文字を紡ぎだす筆とは相いれないもの。
一本の線にもつまづき、思わぬところであふれ、不意に終焉する、そんな一筋縄ではいかない筆はできないものかと妄想しているのだ。
で、ふと思いついて、枯れ木を探しに近くの林に出かけた。
空をつかもうと成長し、倒れた枯れ木ならば、枝先にもその想いは残っているかもしれない。
それは、風のようにしなる動きを残しているかもしれない。
その先端に墨をつけ、紙の上に置くならば、骨のような影を落とし、虫のようにぎこちない軌跡を残していくかもしれない。
そんなことを考えながら林の中を歩くと、枯れ木は倒れた形のまま、陽射しに漂白され、静かに転がっている。
ボクは、晩年のマチスを撮った一枚のモノクロ写真を思い出した。
太った身体を椅子に沈めたマチスが、枯れ木に絵筆を括り付け、キャンバスに「キリストの受難」のエスキースを描いている写真だ。
モノクロ写真の粗い粒子のせいで彼は、冬に目覚めた不機嫌そうなモグラのように見える。
それから、描いてきた無数の描線の中に自分の墓所を探している老いた殉教者のようにも見える。
ボクは一本の枯れ木を拾い上げる。
それはマチスの長い筆のようにまっすぐではない。
グネグネ曲がり、とうてい意図した線を描けるシロモノではない。
枯れ木のフォルムに従って、舟をこぐように両手で枯れ木を持ち、格闘するように、身体をねじり、生まれてくる線の上を流れていかなくてはならないだろう。
それは多分、何かを描くのではなく、
何かを描かされる行為なのだろう。
晩年の身体が動かなくなったマチスは、その行為に身をゆだね、泣き笑いのような表情を浮かべている。
ボクは木々の間を流れる朽ち葉の上に、枯れ木を突き立て、文字らしきものを描いてみる。
その文字をボクは読むことはできない。
2015/02/17
Vol.262 ころころボックスで遊ぶ
冬の間、休止していたアートワークショップを始めた。
今年は軸足を藤沢にある太陽の家という障がい者支援施設に置いて取り組んでいこうと思ってる。
冬晴れの午後、
湘南の鵠沼海岸に近い太陽の家に向かって歩いていると、
ボクの中でむくむく春のようなものがうごめき始めた。
いまは2月半ばだから一年で一番寒い時期なんだけれど、ちょっと早く冬眠から目覚めたモグラみたいにじっとしていられない。
きょうはどんな仲間が集まってくるんだろう?
去年、太陽の家に集まってきた人たちの顔を思い浮かべてみる。
仕事を終えた保育士さんや栄養士さん、指導員さん、地域のボランティアのお母さんや小さな子どもたち・・・いつの間にかボクの中では一緒にアートを楽しむ仲間になってる。
「きょうはこれで遊びまあす!」
声をあげると、2歳だという小さな子どもたちが一斉に顔をあげた。
画用紙を敷いたダンボール箱を持ち上げ、絵の具のついたピンポン玉を投げいれて、ごろごろ振ってみる。
転がるピンポン玉の音がする。
速く振ったら、騒ぎはじめ、
ゆっくり振ると、静かな波のような音になる。
(それはうつろいやすいボクの心のようだ)
ダンボール箱の底の紙にはそんな音の軌跡が線になって刻まれていく。
その紙を取出し、
「こんな模様の紙をいっぱい作って、これを好きなように破って花のかたまりにしまあす。それをみんなで貼りあわせて大きな花ざかりの森を作りましょう!」
声を張り上げ、簡単に工程を説明する。
室内に、いろいろなピンポン玉の音が響きはじめる。
2歳の子どもたちは絵の具をつけた玉を箱に入れることに熱中する。
大人たちはどんな音の軌跡を刻もうかと、手の動きに集中する。
静寂とは違った、不思議な透明感のある一瞬が訪れる。
一人ひとりが自分の動きに無心に向かい合う時、
そこには他者とか自分というものがなくなる。
いろいろな模様の心の軌跡が生まれていく。
大人も子どもも混じり合った線模様。
それはここでしか生まれなかった線たちだ。
この時、この共有感を大切にして生まれてきた色彩たち。
海辺の橙色の夕日が射しこんでくる頃、ボクらの遊びは終わる。
白い壁に、一期一会の花ざかりの樹が立っている。
2015/02/13
Vol.261 空から降りてきた石?
2月も半ば、
この冬にはやろうと思っていたものが手つかずのまま、
時間だけが過ぎていく。
過ぎて行くという感覚は、
若い頃は置いていかれるというあせりのような感覚を伴っていたが、
いまは、もっと平明だ。
静かで澄んでいる。
それは、待っているという感覚に近い。
現われてくるものを、
そのまま受け入れるために、
過ぎて行くものに心身をさらしている。
そんな諦念のようなものが大切なんだと思うようになった。
それがあらわれたのは2年ほど前だろうか?
小さな貝。
未明の横たえた身体の奥に、ポツンといた。
どこから来たのか、ボクは問うたが、それは黙ったまま居続けた。
その沈黙が、彼がボクの身体の中にいる一つの答えのようだった。
大切な答えは、
打てば響くようなものではなく、
沈黙やとまどいや忘却や
喜怒哀楽のさまざまな感情をまとって、
長い時の波に洗われながら現われてくる・・・
小さなピラミッドのような貝は何も語らず、何かを待っているようだった。
時々、貝の見る夢をみた。
深い海底にいて、
ある夜、
頭上はるかに光る星を目指して歩きはじめた、長い旅の物語。
ボクはそれを記録しておきたいのだが、
まだ過ぎて行く時は、ボクにその力を与えてくれない。