このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2015/05/12
Vol.285 宇宙に浮かぶ石
君はいらだたしそうに黒い紙に白い突起を描いていく。
幾つも、幾つも、投げやりな感じで、
「ボクはここになんか居たくないんだ」と、
尖った気持ちを突き刺すようにして、白い突起を描いていく。
君の前には美しい鉱物の本が開かれていて、
異極鉱という名前の白い石の結晶が印刷されている。
その石も君の気もちのように尖っている。
触ればすぐにも折れそうな結晶だ。
君がこの写真を選んだ理由が分かるような気がするよ。
ああ、ムシャクシャする!
本当は、ボクは居たくないんだ!
描きたくないんだ!
ボクは何をしてるんだ!
君は
思いつめたように視線を止め、
ふうっと短い息をつくと、
突然、はげしく色鉛筆を走らせ、白い突起を塗りつぶしていく。
君の描いた異極鉱は、刺の刺さった心臓のように悲鳴を上げる。
君はどこに居たいのだろう?
何をしたいのだろう?
君の描いた異極鉱のまわりには、
丁寧に描かれたバリウムやエメラルド、繊維状の結晶が、
静かに浮かんでいる。
それは、
宇宙に浮かんだ星雲のように、
つかずはなれずの微妙な距離を保ち、
悲鳴を上げる君を見守っている。
そうなんだ
ワタシも、そのように君を見守ってあげられればいいのに、
悲鳴を上げる君のまわりをオロオロし、
君には必要もない甘い言葉を探している。
2015/05/08
Vol.284 三畳の宇宙
5月の連休は伊豆で過ごした。
古くて小さなあばら家に5人もの人が来たので、ボクは小さな納戸で寝起きすることにした。
三畳あるかどうかの空間で、三方の壁には衣類を吊り、本を積み重ねているので、実際の広さは二畳くらいの狭さだ。
そこにマットを敷きつめ横になると、足が伸ばせない。
寝る時は斜めになって寝た。
深夜、
和室や板の間で寝ている人たちから離れ、小さな灯りをつけ、
学生時代の持っている事さえ忘れていた本たちに囲まれていると、
不思議な懐かしさがボクを包んだ。
男と女のいる歩道
びろう葉帽子の下で
夜と霧
木造船
最後の親鸞
月と胡桃
雨の日の鳥
夜になると鮭は
夢見つつ深く植えよ・・・
ほとんど内容を忘れてしまっていたのに、
不意に幾つかのフレーズやシーンが蘇ってくる。
それから、その本を片手に過ごした日々、
シャワーのような突然の出会いや胸の痛くなる別れ、
遠い時間、
それらを辿っていくと、フェースの仲間たちや身近な愛する人たちとの日々、
遠く、会ったこともない紛争地の空爆や飢えに苦しむ子どもたちにまでつながっていく。
三畳の納戸は、切れない長い連鎖の紐で作られた空間になる。
それらに囲まれて目を閉じていると、
ボクは小さな宇宙船に乗っているような気になる。
納戸の裏山を歩くイノシシやシカの気配が小窓から伝わってくる。
天城から山風が雑木林を揺らせて、吹き降りてくる。
山の稜線の上には、息をのむような数の星空が広がっている。
深く息を吸い込むと、
ボクはゆっくりそこに昇っていく。
2015/05/01
Vol.283 鉄線と会話する
先日、真夏日に近い気温の中を35kmほど自転車で走って相模原の家に帰ってきた。
自転車を止めるとくらくらした(笑)。
よく走ったなあという高揚感もあり、庭の蛇口をひねり、頭から水を浴びた。
水は火照った身体をはじけて落ちていく。
立ちのぼってくる水の匂い。
水は薄い金属板のようにきらめきながら、
いとも簡単にボクの身体を切り開いていくような爽快感があった。
濡れた足下には、鉄線の花が咲いていた。
紫の花弁をいっぱいに開いて、解体されていくボクを受け止めている。
出かける時はつぼみも目にはいらなかったのに、
ボクは調子よく「おー、生きてるなあ!」と声をかけた。
すると彼女も「ああ、あんたもね」と笑いながら陽射しの中を揺れた。
なんと言葉を返したのだ!
ボクは内心驚きながら、「この季節、紫の花が多い気がするんだけれど、なぜだろう?」と問いかけてみた。
「ムラサキ?黄色じゃなく、赤じゃなく、ムラサキ・・・ワタシに気づくためじゃない?」
おお、そうかも!
「あんた、川にかかるフジの花を撮ったでしょう?それからオダマキも。みんなムラサキ。」
確かにそうなのだ。
川沿いの道を自転車で走りながら、初夏の空に溶けるような山フジの一房を撮ったのだ。
その時、ボクはなぜかファーブルのことを想っていた。
フンコロガシを求めて牛糞の落ちた野をかがみこむように歩いているファーブルの背を追いかけてペダルをこいでいたのだ。
そのまま走っていけば、ファーブルに出会った頃の新鮮な時間に戻っていけそうな気がしていた。
「で突然、あんたは、世界がいろいろな色彩に満ちていることに気づいたのね?」
ああ、そうなのだ。
見上げると、フジの花房が空の青に溶け込んでいて、空は数えきれない花や虫や子どもたちや老いた人たちの「青」でできていることに気づいたのだ。
「何もかもお見通しだね」
「あはははは・・」
鉄線は気持ちよく笑った。
初夏の日差しが揺れて、笑い声は空に広がっていく。
2015/04/28
Vol.282 絵とコラボする時間
この絵、何に見える?
んんん?
ああ、無理に分かろうとしない方がいいのかもしれない。
しばらく眺めていると浮かんでくるものがある。
不思議なパッチワーク風の文様
軽くて、あたたかくて、
いろいろな記号が、それぞれのメッセージを発信してて、
交錯したり、共鳴したり、ぶつかりあったり、
奇妙な振動、
ダンスやリズムが伝わってくる。
生きてるんだ。
生きて、あるがままに手足を広げ、ボクの目の前にある。
それはボクにコラボを求めている。
コラボ?
どんな?
ダメなボクは、どうしても既成のイメージにして理解しようとしてしまう。
例えば、手前の赤いもの。
見ているとネコになってくる。
緑色のしっぽを振りながら、じっと何かを見てる。
ネコの左から伸びているサーフボードのようなアルファベット。
これはネコの影かな?
TOPSPIN・・・このレタリングは見覚えがある。
カエルの画家のとしきさんの文字だ。
ネコの前にいるのは青く透きとおった鳥。
逆光に浮かびあがた鳥の影が繊細な針金細工のようだ。
ネコと鳥のいる白が美しい。
それは海に続くまぶしい砂浜のように伸びている。
前方には海と空の二つの青。
その手前の丸いテントのようなものは、海辺の屋台?
パッチワークのような色に描かれている漢字はまさたか君の文字だな。
焼きイカの匂いや熱い砂、じりじり照りつけてくる陽射し、
絵には、海辺のアナーキーな時間が流れ始める。
ボクはもうそのイメージから離れることはできない。
海辺に向かう道に浮かんでいる意味ありげな矢印、何なのだろう?
一方通行?
矢印の先には何があるのだろう?
それはボクを誘惑する。
ああ、しばらくしたらトンボと黒いネコが棲む日傘をさして、海辺に出かけよう。
(二つの絵は、フェースの仲間とコラボしたNAGASAKOさんの作品です。)
2015/04/24
Vol.281 4月の海辺
4月も半ばを過ぎ、晴れた日が続いたので
ずいぶん久しぶりに辻堂の防砂林を抜けて海辺に出た。
30分ほど、浜ぼうふうの伸びはじめた砂丘に座って海を見ていた。
真鶴岬の向こうに遠く伊豆半島が空に溶け込んでいる。
なにも浮かんでこない。
ゆっくり風の中に時間が消えていく。
昔、こんな風に海を見ていた人は、いま何を見ているのだろう?
思い出したいものは一杯あるはずなのに、はっきりした像を結ばない。
仲間たちの絵もそうだ。
20年を超す時間、
彼らの表現の現場にいて、
何千もの線や色彩が、ため息や怒りや笑いや絶望や悲しみや
いろいろな感情をまといながら生まれ、紙に固定されていくのを見てきた。
それを作品と呼んで記憶にとどめたものもあるが、
ほとんどの線や色彩は、一瞬の輝きを残し、消えていった。
それが存在したことを証言できるのはボクしかいないのに、
ボクは彼らの像を浮かび上がらせる言葉を持たない。
少なくともボクの身体の中には20年の彼らの残像が蓄積されているはずなのに、
彼らの声や輪郭をたどることができない。
過ぎていったもの、
消えていったもの、
風化していくもの、
彼らはどこにいったのだろう?
風が強くなる。
砂が移動している。
小さな角を輝かせて、転がり、また別の砂がそれに合わせて転がっていく。
目に見えないほど小さくて静かな移動の連鎖。
その連鎖が目の前の砂山の形を変えていく。
まるで大きな意志のように連鎖の流れは海辺全体にひろがり、
休むことなく海辺の光景は変化し続ける。
4月の海辺で
ボクは
膝を抱え
取り残された杭のように座っている。
とどまるものは何もないのに。