このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2015/07/31

Vol.305 たまのようなものを作る



先週の暑い日、蔵まえギャラリーで文字を素材に表現を楽しむワークショップをやった。
連日、外に出るのが嫌になる猛暑が続き、その日も朝からすぐに30度を超える暑さ。
これじゃ、人は来ないだろうなという予想通り、参加者は午前午後、延べで13人ほど。
考えようによってはゆっくり表現を楽しめる人数となった。
ワークショップなんて無理やりやるものでもないし、心がおもむけばやればいいのだ。
表現に向き合う時間を楽しむこと。
それは、制作することではない。
完成させることではない。
あるがままの自分に向き合って、
いろいろ考え、
おしゃべりし、
手を動かし、
仲間たちの間を浮遊し、
時に落ち込んだり、
うまくいったと高揚し、
少しずつ、
囚われていた日常のしがらみから、自分を解放する。
身体の奥底から新しいエネルギーが湧出し、手足の先や目線の先まで循環し始める。
その流れに従って、何かが生まれればいい。
その形跡が記録されればいい。
それがワタシのワークショップの目標なのだ。
で、この日、ワタシも久しぶりに表現に向き合ってみることにした。
テーマは、「文字をばらして、たまのようなものを表現しよう」という意味不明なもの。
その日、会場の蔵まえギャラリー和室には、丸められたり、束ねられたりした文字たちが山積していた。
有一展に向けた連続ワークショップで生まれた文字たちがダンボール箱や紙袋に溢れだし、それを整理しなければということになり、何の因果か、捨てられることになった文字たちだ。
その悲運の文字たちを素材に、破ったり、貼りあわせたり、丸めたり、・・・それぞれが自由に「たまなるもの」を表現する。
最初は、みんな、なにをしていいのかおろおろ、うろうろ、いらいら、・・・やがてたまが「たましい」であることに気づく。
ワタシは、土間に文字たちを広げ、絵の具で染めていく。
それから破っていく・・・まるで解体新書の杉田玄白や前野良沢のような気分になって、土の上に腑分けした文字の臓腑を並べていく。
それは文字たちの魂の断片だ。
それを渦巻き状に貼りあわせていく。
するとそれは少しずつ星雲になっていく。
捨てられる運命にあった文字たちは宇宙に昇り、巨大な時を刻みはじめる。
汗を流しながら、そんな幻想に包まれ、地上の時も流れて行く。





2015/07/28

Vol.304 夏の未明



夏になると未明に目覚めることが多くなる。
火照った大気が
シンと澄んだ青い水に変わる、
そんな時間だ。
眠りを包んだ木々が地中深く
浸みだしてきた呼び声を溶かし始める。
夜に同化した鳥たちが身震いし、
うっすら姿を現す。
失聴して久しい耳に
木々の声や鳥たちのさえずりが聞こえる。
四六時中、吹き荒れている耳鳴りは、
砂嵐のように通り過ぎ、
未明の私は
なつかしい静寂に浸されている。
その朝、
新聞に掲載された女性が目にとまった。
古い椅子の背もたれに顎をのせ、遠くを見ている、
無造作に伸びた黒髪の
陽に焼けた
アジアの
土のような女。
中国版LINEで爆発的人気/脳性まひの農民詩人/
余 秀華(ユイ シウホワ)
私ハ弾丸雨飛ノ中ヲクグッテアナタヲ寝ニ行ク
私ハ無数ノ闇夜ヲ一ツノ黎明ニ押シ込ンデアナタヲ寝ニ行ク
無数ノ私ガ疾走シ一人ノ私ニナッテアナタヲ寝ニ行ク
・・・不自由な手で一文字一文字つづった詩が昨年末、中国版LINE「微信」に載った。感動した人々が転送を繰り返し、瞬く間に中国全土に拡散。湖北省の農村に住む無名の農婦はわずか数カ月で中国で最も有名な詩人になっていた・・・
冒頭の詩「中国の大半を通り抜けてあなたを寝に行く」は、文字通り中国の大半を移動しないと、愛する伴侶と夜を共にすることすらできない民工(出稼ぎ労働者)の苦悩を歌ったものだ・・・
一気に記事を読んで、
ボクは解体していく国境を越え、
IS(イスラム国)に向かう若者たちを想った。
未明の時間を移動する
民工と銃を持つ若者たちの求める愛とは何なのだろう?
目覚めた夏の未明
ボクの中をいろいろなものが通り過ぎていく。





2015/07/17

Vol.303 迷いに迷って、ぷかぷか・わんどに辿りついた



ゆっくり近づく台風11号の余波で、
朝からゆだるような蒸し暑い朝、
なぜか辻堂の海っぺりから相模原まで自転車で帰ろうという気になった。
日焼けクリームを塗り、アームカバーを両腕に着装、黒つばの帽子をかぶり、いさんで部屋を出た。
すぐにねを上げるだろうなと思いきや、強い南風が追い風になり、至極快適。
川沿いをまっすぐ北上する道は、
強風に揺れる草やきらめく水面のさんざめき、
その中をペダルをこぐと、
身体の中に眠っていた自然を感じる触手が伸びてきて、
どこまでもどこまでも行くぞと云う爽快感に満たされる。
ああ、それがいけなかった。
途中、横浜の緑区辺りに来たところで、昔演劇ワークショップなどでお世話になった高崎明さんが開いた「カフェベーカリーぷかぷか」が近くにあるはずだから寄ってみようという気になった。
確か、今年の二月には「アート屋わんど」っていうお店も開いたという連絡が来てた。
で、川沿いの道を右に折れ、携帯の地図を見ながら走り始めたのだけれど、これがなかなか行きつかない。
綾瀬の米海軍道路というところに出でからは、人も通らない畑の炎天下の道をウロウロ。
道は残酷にもアップダウンの繰り返し。
迷いに迷って、「ぷかぷか」にたどり着いたのはお昼過ぎ、干からびたカエルのような気分になっていた。
辻堂を出て3時間近くが経っていた。
少しでも涼しい風の吹く場所を選びながら「アート屋わんど」の壁面に飾られた仲間たちの絵を見ていると、すっと冷たい飲み物が差し出された。
うれしかった。
パンフレットを見ると、「わんど」って、川のそばにできる大きな水たまりのことらしい。魚や鳥や虫や草木などたくさんの生き物が集まり暮らしている場所になりますようにって願いから、そんな名前を付けたとのこと。
いいねえ、ボクもそんな水たまりに迷い込んできたカエルのような気分になった。
高崎さんの案内で、カフェやベーカリーや「おひさまの台所」って名前のお惣菜屋さんなんかも回った。穏やかな表情で声をかけ合う仲間たち。子どもの頃見てた「チロリン村とくるみの木」を思い出した。
さしずめここは「ぷかぷか村」というところか?
おいしいランチをいただいているところで、高崎さんに「仲間たちとアートワークショップをやってくれないか?」と誘われた。
断れないね。
で、8月20日の10時からアート屋「わんど」でやることになった。
楽しいワークショップになりそうだ。
興味のある方は、「わんど」でかえるやどじょうになってくさい。
やわらかな風が吹いています。

*詳細はホームページぷかぷかパンを検索してください。





2015/07/14

Vol.302 表現の波打ちぎわで



描きたいものがなくなって、表現のエネルギーが停滞し始めると、
ボクは仲間に模写することを勧めることがある。
生活の中で何かに対し興味や関心が強まっている時は、座るや否やどどっと紙に向かって線を走らせ、色彩をぶつけることで、仲間の表現はいきいき渦巻き、流れて行くんだけれど、一度停滞するとつらそうなイライラ感や脱力感に襲われる。
ほおづえをつき、ため息をついていたかと思うと、立ち上がり、行き先のないままぐるぐる室内をまわり、また座り、また立ち上がりぐるぐる・・・その繰り返し。
白い紙を前にして、ほとんど手も目線も動かずじっと何かに耐えている人もいれば、窓辺に行って指でガラスをはじき、遠くの風景を見ていたり、姿を隠すように部屋の片すみにうずくまっていたり、床の感触を求め衣服を脱いで寝転んだり、それぞれが自分に合った停滞のポーズをしながら時間が過ぎていく。
もちろんそれだっていいのだけれど、時々ボクは、そんな彼らの停滞した水面に小石を投げ入れてみたくなるのだ。
で、雑誌のコピーや有名画家の絵をそっと見せながら、これを描いてみようかとか囁いてみる。絵よりも文字に興味を持つ人には、般若心経の写経を進めたりもする。
できるだけシンプルで分かりやすいものがいい。
いろいろな情報が詰め込まれものはイライラ感をかえって拡大させるので要注意なのだ。
表現を強いるものじゃなくて、単純作業のように、「あっ、あれね」って感じで手を自然に動かせるもの。
少し元気が残っていたりすると、その手の動きが、淀みの底に隠れていた表現のエネルギーと共振したりするのだ。
仲間たちが模写しやすい画家たちといえば、ピカソやマチスなんかだ。
クレーの絵は、仲間たちの作品と酷似するものが多く、模写するにはいいんじゃないかと思うけれど、停滞している仲間の心には届かない。
何故だろう?
マチスピカソはその形や色彩に単純化したメッセージ性が強く、その意識化された情報がとてもストレートに仲間には伝わるからかもしれない。 「ここは青い線ね、ここには目を描くのね」
そんな風に目と手が一直線で結ばれ、線や色が生まれていく。
ところがクレーはそうはいかない。
余りにも自分たちの表現に近いために、それは停滞した魂にも表現することを強いているように仲間たちには映るのかもしれない。
クレーの「ルツェルン近郊の公園」とか「パルナッソスにて」なんかを見ていると、A.博さんの「動物たちの森」や泰治さんの「マス目富士」とそっくりなことに気づく。
100年の歳月を経て、世界の片すみのフェースの現場で、同じような作品が生まれることに、ボクは表現の奥深さのようなものを感じる。
C.G.ユングは「人間と象徴」という書物の中で、興味深いクレーの言葉を紹介している。
「私の手ははるかに離れた天球からやってくるひとつの道具なのです。作品を作っている間、働いているのは私の頭ではありません。それはなにかもっと違った別のものなのです。」
それを受け、ユングは言っている。
「彼の作品では自然の精神と無意識の精神とは分離できなくなっている。この二つのものが彼を、そして私たちを魔術的な円の中に引き入れていく」
表現の魂という波打ちぎわで、クレーも仲間たちもボクを呼び続けている。





2015/07/10

Vol.301 ナナの家で作品が語ったこと



先週末、狛江市の福祉ネット「ナナの家」によばれてワークショップをやった。
話しも聞きたいというので、「自由な感性を引き出すアート活動」っていう少々硬めのタイトルで1時間くらいしゃべり、その流れで「おしゃべりな森」のワークショップに入り、一汗かいたら職員さんたちと懇話会・・・少々長い半日を過ごした。
でも、全然疲れなかったね(笑)。
何故っていうと、この日は地域に開かれた研修会で、これまでは制度や支援の課題といった硬い内容をやっていて、職員の方から今回は日々の実践に生かせる研修をしたいというリクエストがあり、ボクを呼んだという経過を事前に聞いていたので、
参加者もボクも楽しめる半日を過ごせればいいやというリラックスした気持ちで臨むことができたからだ。
スタッフリーダーの梓さんはまだ若い人なんだけれど、教員をやっていた頃、世田谷区の特別支援学校教育研究会でボクがやった穴あけアートのワークショップにも参加されていて、その当時作った作品「穴あけ鳥」を持ってきてくれたのにも励まされた。
時が流れても、やってきたことが大切にされているってことは、やっぱり嬉しいものだ。
研修会に参加されたのは、狛江市内外の支援員さんやヘルパーさん、学校の先生、関係機関の職員さん、親子・・・例によって多様な人たち、若い人たちも結構参加されている。
初めての人に話しをする時、ボクは実際の作品を見てもらいながら、どんな風にこの作品は生まれてきたのか、どんな想いがそこに込められているのかを、作品自身が語るように話すことにしている。
ボクの言葉よりも作品が持っている言葉の方が、ずっとインパクトが強いので、作品に任せておけば大丈夫という確信がある。 その内容を一部紹介しよう。
全ての人が表現の欲求、力を持っていること、
表現は生命の大切な活動の一部で、心地よく楽しいもの、
表現することは、抑圧されていたものを解き放つということ、
受け売りの知識や技術ではなく、楽しさがその力の源泉であること、
仲間とワタシたちは二人三脚で、そんなアートを見つける旅を続けていること、
師匠(センセ)は仲間たちで、ボクらはそれについていけばいいこと、
それからボクの希望として、
ささやかで小さくてもいいから、そんなアートの時間を仲間たちと作っていって欲しいこと・・・。
ああ、文字にすると硬いねえ(笑)。
でも、仲間たちの作品は身振り手振り、それぞれの言葉でそんなことを伝えてくれた(筈である)。
話しの後で、参加者は実際に作品を手に取りわいわい。
興味シンシンのやりとりや飛び交う視線を見ていると、まるで夏休みに採集した珍しい昆虫に群がる子どもたちのよう。
作品たちも何だかくすぐったそう。
そんな様子を見ていると、
なぜかボクも自慢したいような気持になったのでした(笑)。