このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、 「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。

2016/03/25

Vol.345 鳥は啼く、ピース、ピースと



雨が降り、真冬の寒さが続き、
ボクは窓際で、灰色の雨を見ながらカザルスを聴いていた。
暗い草むらや煙ったような木々が風に揺れていた。
そして春が来た。
眼下に広がる相模湾に大島や利島の島影が見えた。
ボクは窓を開け、またカザルスを聴いた。
『鳥の歌』とバッハの無伴奏チェロ組曲が心に残り、何度も繰り返し聴いた。
向かいの赤い屋根の上にイソヒヨドリが来て、彼女もじっと聴いていた。
それから小さな声で啼くと、灰青色の空に消えていった。
ゆっくりと暮れていく室内にオートリターンにした『鳥の歌』が流れ始める。
これは、ホワイトハウスで演奏した1961年の録音盤で、時々身体を振り絞る唸り声のようなものが聴こえてくる。
フランコ独裁政権で故郷のカタルーニャを追われたカザルスの肉声のような音だ。 ウッ、ウッ・・・自分を励ますようにも、泣いているようにも聞こえる。
この時、カザルスは84歳。
この演奏から十年後、94歳になったカザルスはNYの国連本部で『鳥の歌』について伝説的なスピーチを行う。
「私は長い間、公の場でチェロを演奏していませんでしたが、また演奏すべき時が来たと感じます・・・最後に演奏するのはカタルーニャ民謡の『鳥の歌』です。私の故郷では鳥たちはこう歌います。『Peace,Peace,Peace・・・』と。そのメロディーはバッハ、ベートーベン、そして多くの偉人たちが愛したもの、そして私の民族カタルーニャの魂なのです。」
呑み込んでいた石を吐き出すように、ゆっくりゆっくり語るカザルスのしわがれた声は聴きとりづらい。
しかし、その言葉の向こうにカタルーニャの荒野を吹く風のようなものを感じる。
フランコ独裁政権を認知する国では決してチェロを演奏しなかった老音楽家の歩いてきた道のようなものが見える。
このスピーチから二年後、カザルスは故郷から遠く離れたプエルトリコで死去、
96歳。
すっかり暮れてしまった部屋にカザルスのチェロが流れる。
遠く、大島の波浮港の明かりが暗い海面に伸びている。
カザルスの『鳥の歌』はいまも世界のどこかで流れ続けているにちがいない。




2016/03/18

Vol.344 まじめなひとが



前号(vol.343)の「きょうのくすくす」に紹介したトム画伯の『陽気な顔つき』は、クレーの『まじめな顔つき』を模写した作品である。
クレーの原作はどんな作品だったのだろう?
谷川俊太郎の詩が掲載されている『クレーの絵本』という詩画集をめくっていると出てきた。
32.9×20.9cmの厚紙に水彩とテンペラで描かれた小さな作品。
制作は1939年。
その年の9月にヒットラーに率いられたドイツ軍はポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。日本は満州、モンゴルの国境でノモハン事件を起こし、戦火は世界に広がっていく。(6年にわたる第二次世界大戦の兵士、民間人の被害者(死者数)の総数は5000万~8000万人とされている。)
クレーは1940年6月に逝去しているから、死の前年にこの絵を描いたのだ。
その年、彼は有名な天使の連作と一方で抑圧的な死のイメージが強い作品など28点を制作したといわれている。
「ガリシアのユダヤ人」と呼ばれたクレーは、この「まじめな顔つき」をどのような想いで描いたのだろうか?
その前年11月9日に「水晶の夜」と言われるナチスの突撃隊がユダヤ人商家やシナゴーク(ユダヤ教会堂)を破壊、徹底的な人種差別、殲滅が開始されている。
ボクはナチスの軍靴の響く薄暗い室内で、絵に向かうクレーの姿を想像する。
すると、今も世界のどこかにいるにちがいない、何人ものクレーたちが銃を絵筆に変え、見えないキャンバスに立ち向かっている姿が浮かび上がってくる。
破壊された瓦礫の陰で、飢えと寒さにさらされる難民テントの隅っこで、痩せこけたクレーたちは棒のような絵筆を持ち、少しの絵具と布切れ、厚紙を求めながら、戦火の荒れ地の彷徨っているだろう。
ああ、なんという時代。
谷川俊太郎が、この「まじめな顔つき」について詩を書いている。
それを紹介したい。

■まじめな顔つき
まじめなひとが
まじめにあるいてゆく
かなしい
まじめなひとが
まじめにないている
おかしい
まじめなひとが
まじめにあやまる
はらがたつ
まじめなひとが
まじめにひとをころす
おそろしい

こんな詩だ。
ボクも谷川俊太郎もそんなまじめなひとの一人なんだと思う。




2016/03/11

Vol.343 5年の夢



東日本大震災から5年がたった。
5年という時間は微妙な時間だ。
何かをなすには短かすぎ、
何かを始めるには十分すぎる時間である。
いまのワタシには、いつの間にか流れてしまったという喪失感と決定的に変わってしまった現実を複雑な思いで噛みしめる、そんな時間である。
あの頃、フェースの仲間たちはどんな絵を描いていたのだろうと保管している画像から探してみた。すると、2011年の秋、蔵まえギャラリーで制作した東北支援の連帯旗の写真が出てきた。
あの年は、様々な支援活動が草の根のように全国で取り組まれていた。
ある意味で、大震災を機にあたらしい人間の絆を日本に創りだそうとするエネルギーが全国で渦巻き、沸騰していた。
ワタシたちが取り組んだのは被災地に多くの仲間のアート旗を立てようという、物質的というよりも精神的な連帯活動だった。
それが意味を持ったのかどうかは軽々には言えないことだが、フェースの仲間たちと一緒にできることはないか、できることをやりたいという想いがあってのことだった。
50cm四方の布に仲間たちがそれぞれの好きな絵模様を描いて送った。
ワタシも描いた。
あの時の絵がどんなものだったか、すっかり忘れてしまっていたけれど画像の隅に私の描いた絵が映っていた。
倒壊した家々の続く荒れ野に生い茂った草花が無数の種子を放出している光景である。
種子は澄んだ秋空高く舞い上がり、静かに被災地の上に降り積もっていく。
目に見えない放射能が流れる森にも種子は降っていく。
繰り返す人類の愚行も包み込み、種子は未来へといのちをつないでいく。
そんな想いを表現しようとしたのだ。
5年がたち、傷跡の大地に種子はいのちを根付かせたのだろうか?
うなだれるしかない。
が、ワタシたちは少しずつ気づき始めている。
あたらしいいのちを未来へとつないでいく種子は、ワタシたち自身であることを。
ワタシたちがワタシたちらしく生きたいと願うこと。
ささやかなワタシたちの願いを生き延びさせるためにできることを今なすこと。
その大切さにワタシたちは気づき始めている。




2016/03/4

Vol.342 湘南vividアート展公募要項について



第三回湘南vividアート展(公募)の応募要項が決まった。
今回のキャッチフレーズは「魂に触れる鼓動/すべての垣根を越えよう」である。
「すべての垣根」というのは、差別、貧困、格差、暴力、憎悪、不安といった、いま世界を覆う観念、感情、それらを固定化する社会的障壁とそれらを抱えて生きていかざるを得ない私たちの内なる障壁を指している。
それらを越えて、人として、かけがえのない一個の自分として生きていきたいという想いがキャッチフレーズには込められている。
その想いの一点だけを共通のものにして、さまざまな衣装、動き、声をまとった多様で個性豊かな作品たちが集まって来てほしいと願っている。
スタイルや技法、完成度が問題なのではない。
既成の美術的な価値観から遠く離れ、彼らの生きている鼓動に触れたいのだ。
匂いや熱に包まれ、彼らの生きている地平線を旅してみたいのだ。
色彩や描線やタッチに誘われ、ダンスや歌を共にしたいのだ。
彼らは理解されることを求めているのではない。
共に存在していること、共にする時間を共有することをワタシたちに求めているのだ。
そのようなステージを創り出したいとワタシたちは願っている。
そのためには従来のように作品を制作するのは作家、展示するのはワタシたち実行委員、作品を観るのは観客という一方通行の役割分担された作品展(これも一つの垣根だ)を越える必要があるだろう。
発熱し混沌する新たな動きを会場に創りだす実験、それが今年の課題なのだ。
何が考えられるのだろう?
作品は壁面から解放され、作家、観客から自立し、歩行/浮遊しなければならない(ん?)。
作家は作品を盾にして隠れず、自らを登場させねばならない(んん??)
観客は観る立場から作品・作家と対話、共感するという立場へ移行しなければならない(んんん???)
ああ、だめだなあ。
ならない/ならない、ばかりじゃ創造的なものなんて生まれっこない。
発熱、混沌の底には、あらゆる形の自由力が存在しているはずなのに。
で、ワタシたちは無い知恵を絞り合い、今年は作品たちや作家や観客が出会うための三つのイベントをやることにした。
音楽と作品、観客が溶け合うミュージックデー/出展作家による似顔絵かき/出展作家のプチ作品の格安バザーである。
普段はなかなか出会えない作品と作家と観客が会場で出会い、会話し、共感する場をイベントを通して創出してみたいという甘い考えである。
うまくいくかどうかはわからない。
うまくいかなくても、それはそれで既成の作品展という垣根を超える一つの試みとして受けとめていきたい。
というわけで今年の湘南vividアート展にはご注目くださいね。
お友達にもぜひ紹介してください。
応募要項などの詳細、問い合わせは以下のところにお願いします。

■蔵まえギャラリー内・Vividアートウェーブ
〒251-0052 藤沢市藤沢630-1
tel/fax:0466-25-9909
hp:http://vivid-art.jimdo.com
Eメール:vividart2016@gmail.com




2016/02/26

Vol.341 二月の海をあるく



二月の海が呼ぶんだよなあ。
きょうは、曇天の暗さに包まれ、
寒くて、外に出たくはないけれど、
呼んでいる。
耳を閉じても
目を閉じても、
二月の海の声が聞こえる。
海がもっとも青くなるのは二月。
鉱石のような硬さを見せるのは二月。
海面に刻まれたことばを風が運ぶのも二月。
知っているかい、
暴風の吹き荒れた未明の海辺にはぎざぎざの断面を見せた
青いことばが散乱していることを。
海鳥や
海辺の世捨て犬や
防砂林の老いた猫が
静かにそれを啄んでいる。
きょうは、曇天で雨のにおいも強くなるばかりだけれど、
海辺のことばが
呼んでいる。
波に濡れたことばのきざはしに、
仲間たちのことばが化石のように閉じ込められている。
それが、おいで、おいでと誘うんだよなあ。
どうして仲間たちのことばが海のことばにまぎれこんでいるのか、
それが不条理な世界を解体する鍵のように思えて仕方ないけれど、
いまのボクにはわからない。
二月のマントを着て、
すっかり色あせした黒い帽子をかぶり、
ボクは海辺の生きもののように、
波打ち際のことばを探して、
歩く。