2012/11/06

重い葡萄



彼は休まない
ひたすら丸を描きつづける。
それは次第に重量を持ち始める。
ちょっと私には持ち上げられないような重さだ。
彼は
母親につきそわれ、
痩せた体を少し前かがみにして部屋に入ってくる。
そして手を差し出して、
私と握手する。
手は冷たくて、少し濡れている。
とても静かな人。
手は身体や心の調子を私に教えてくれる。
(震えていたり、熱い時は要注意)
「きょうは何を描こうかな?」
つぶやきながら、紙に丸を描く。
「花です」
「ブドウです」
私には同じ丸にしか見えないけれど、違うのだ。
彼の丸には、
彼の静かだけれど深い生が入っているのかもしれない。
だから重いのだ。
時に
そんな丸の中に
光や
直線があらわれることがある。
荒々しく、スピード感のある線、色彩・・・
それが何なのか、私にはわからないけれど
彼は疲れたように言う。
「おしまいです」
「もういいです」
机の上に置かれた絵は、
静かに息づいている。







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2012/11/02

草色のいぬが見ているもの

草色のいぬ(第23回の「きょうのくすくす」で紹介)
が気になって仕方がない。
小さな黒い目がまっすぐこちらを見ている。
「何か言いたいの?」
「何か探しているの?」
そんな言葉かけをしてしまいそうになる。



そのせいか、
とうとう先日、雨の日に会ってしまったのだ、
そいつは、
六会日大前近くの人気のないグラウンドにいた。
雨宿りをするみたいに
木の下にいて
じっと座っていた。
「おいっ、何を見てるの?」と声をかけようとして、
あまりに静かでいい光景だったので黙って見ていた。
すると
彼が捜しているものが見えてきた。
失くしたボール
飼い主の少年と一緒に走った、夏の日のボール
コスモスの草むらに駆け込んだ、秋の日のボール
もう、かえってこないボール
すると、
自分もそんなボールを
いつの間にかなくしたことに気づいた。
いつ失くしたのだろう?
いつのまにか無くなった大切なもの・・・

雨の中で
草色のいぬと私は
同じものをじっと見ていた。







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2012/10/30

カラダの宇宙



火山のように
地下から噴き出してくるマグマ。
二すじの滝のように
左右からまっすぐ落下し、
また上方に上っていく絶え間ないエネルギー。
この絵は人体解剖図を描いたもの。
これを見ていると、
カラダは地球と一緒だなと納得する。
どこかで地球とカラダは、つながりあっている。



これは、人体のリンパ腺を描いたもの
街を結ぶ交通網のように絡み合ったり、
パンク状態の通信網のように、
所々でショートし、点滅している。
これを見ていると、
カラダは人間の生活と一緒だなと思う。
ブラックアウトにおびえ、
絶え間のない叫びをあげている。

人体の絵を描き終わったある日、
仲間に聞いてみる。
「人のカラダって、何でできている?」
筋肉とか血とか骨とかの答えを予想していたら
思わぬ答えが返ってきた。
「きょうは、ラーメンかな?」
「ウンチだよ、まだしてないもの」
「お母さんは、棒(ボウ)だよ」
「棒?」
「ん、怒りんぼう!」
おっと、のけぞるような答え!(笑)
そうなんだ。
人って、いろいろなものでできている。
思い出や喜び、さびしさ、希望・・・・
多分、何十億年前の星のかけらだって、体のどこかにあるのだろう。



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2012/10/26

くもの画家

わがフェースofワンダーにはいろいろな画家がいる。
コーラの巨匠や厚塗り画伯、線の大家、力の画伯・・・
まあ、枚挙にいとまがないが
今回は「雲の画家」を紹介する。
画家は、少し開高健に似ている。
小太りの顔と眼鏡の奥のやや細い目。
いつもいたずらっぽい微笑みを浮かべている。
開高のように饒舌ではないが、
何か聞いたり、尋ねたりすると
「あ、うん」「お、うん」
それだけで、なんでも事足りてしまう。
彼も巨匠なのだ。
彼の描く絵は豊穣である。
カラーサインペンや色鉛筆を軽くつまんで
手首を少し物憂そうに動かす。
すると、紙の上に
様々な色の重なる雲が生まれてくる。
彩雲とでもいうのだろうか?
湧き上がってくる
柔らかな夢のようなものを感じる。



「いいねえ、いいねえ」
うっかり、言葉をかけると、にやりと笑い、
何だこんなもの、と言わんばかりにペンを投げ出したり
雲の上にいたずらがきをしたりする。
巨匠に遊ばれているのだ。
時に
ペンを口にくわえ、
葉巻をふかすような格好をしながら、
ほらっ!と絵を突き出す。
悔しいけれど、
そこに描かれている雲には
様々なストレスを抱えた私たちの日常を超えた、
悠々とした時間が流れている(笑)。





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2012/10/23

雲をたべる



交差点で立ち止まったら
空を見上げてみよう。
どこか一か所を決めて、3秒ほどじっと見つめる。
それを信号待ちのたびに繰り返す。
すると前に見た空と、いま見ている空と
どこか違っているのに気づいたりする。
それだけで、
上空高く吹いている風が、
体の中にも吹いているような気持になる。
きのうは、
ひつじ雲が生まれるのを見た。
小さな団子のようだったひつじが
みるみる、数を増やして
丘を駆け下りるように、空に広がっていった。
それを見ていると
マシュマロみたいといって雲を食べる
ひょうきんな仲間を思い出した。
彼女なら
空に手をのばし、さっとつまんでは口に入れ、
「ん!おいしい!もう一つ!」
次々と
雲のマシュマロをつまんで口に入れるだろう。
そんな彼女に敬意を表して、
私も交差点で雲をつまんでみた。

きょうは
朱く染まった街の上に恐竜があらわれた。
ほんの一瞬
それは姿を見せて、家々の屋根に隠れてしまった。
彼女なら、きっと
「あっ!恐竜ビスケット!」と声をあげ、
さっとつまんで食べたかもしれない
恐竜はどんな味がするのだろう?



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