2012/11/23
山のセーター
とても大きな夕焼けが、山の上に広がった夜
私は
セーターを編む山の人のことを想う。
葉の落ちた木枝を編み針にして
せっせと
紅葉色のセーターを編んでいく人。
山の人の身体は山のように大きく、
山の人の顔は山に隠れて見えないけれど
藍色に深く染まっていく
山の頂で
息を詰めるように
季節を編みこんでいく手は
とても繊細でやさしい。
星が凍るような寒い晩には
山の人の
セーターを編む気配が一晩中続く。
山々が見事な紅葉に包まれた
ある日、
私は
山の人が去る日が来たことに気づく。
私は
紙を木づちでたたき
紅葉色に染め、
山の人の人形を作る。
今年も
山の人に会えたことを感謝し、
陽射しの中に
山の人の人形を飾る。
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2012/11/20
辻堂ねこ道-2
秋から冬に向かう湘南の海は格別だ。
人出の少ない平日の一日
江の島や箱根、富士、伊豆を見ながら
相模湾の海辺をあるく。
サーファーは相変わらず、
季節感のない生き物のように、
水平線上を往ったり来たりしているが
海辺の生き物たちは
確実に
季節を生きている。
強い風を避けて、砂浜の窪地に座ると
陽射しの中を
砂が輝きながら吹き飛んでいるのが見える。
陽射しのぬくもりが体にしみてくる。
目の隅に動くものがあるので、首をのばすと
ねこが同じように、風を避けて日向ぼっこをしている。
彼は私の視線なんかには、無頓着。
柔らかな表情で目を閉じている。
体中で、秋から冬の移り変わりを楽しんでいるのがわかる。
そんな風にして一日をあるく。
夕方
江の島の灯台に光がともり、
富士は夕焼けの空に黒いシルエットを浮かべる。
突堤に座って
月を見上げていると、
ねこがゆっくり現れ、
いつの間にか横に座って、一緒に月を見上げている。
横目で見ると
くすくす笑っている。
やはり、辻堂のねこは、ただものではない。
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2012/11/16
共同画はJAZZyに
人と人が集まって、
1枚の絵の完成を目指す。
でも、完成の基準なんて、どこにもない。
一人ひとりの想いをどこで終わらせるか、
決定的なものはないので、
共同画を制作するときは、
いつもその過程をみんなで楽しむようにしてきた。
いわば即興のジャズセッションみたいな感じ。
最初は大きな紙の1区画を割り当てて、
それぞれが、あるテーマに沿って
好きなものを描いていく。
いろいろな絵で占められた紙が主張をはじめる。
そうなったら、作った色を交換したり、
描く場所をチェンジしたり
綿棒やしっぽ筆を使ったり、
リズミックな音楽をかけたり、
いろいろなコラボを試みる。
すると、個性がスウィングしはじめる。
それを楽しむ。
仲間の絵の上に不調和な色彩が飛び散ったり
ぐるぐる模様が生まれたり、
それはそれでいいや・・・・
みんながそう思いはじめたら、
絵の表情はどんどん変わっていく。
なんだか川に捨てられた自転車や洗濯機、テレビなんかが
大声を出しながら
海に向かって下っているような楽しさだ。
ピカソの女も
マチスの女も
ミロの女も
Jazzしている。
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2012/11/13
会話
枯れ草色に変わった河岸の道を歩いた。
足もとを見つめて歩く。
落ち葉が炎のように赤く澄んでいる。
昔は、この季節になると
学校近くの河原を生徒とよく歩いた。
いまは、もうそんなゆったりした時間も、
なかなかとれなくなったらしい。
なぜか強まっていくばかりの学校の管理・・・
閉ザサレタ空間デハ、互イガ管理シアイ、
人生ノ中ノ最モ美シイ時間ヲ奪イアウ・・・
昔に読んだ強制収容所の記録の一節を思い出す。
気が重くなったとき、
まだ学生だった頃の、仲間たちとの会話を思い出した。
「これは何でできている?」
「草?」
バッタを捕まえた時の仲間の答え
「じゃあ、これは?」
「んー、水?」
魚を捕まえた時の仲間の答え
「すごい!じゃあこれは?」
「えー?歌?」
「どんぐりころころ、どんぐりこ・・・」
ポケットの中のどんぐりを見つけた時の仲間の答え
河原に横になって
仲間たちと空を見上げていると、
一人の仲間が言った。
「センセイ、地球は?なんでできている?」
「ん?わかんないな。」
「みんなだよ。みんなでできている。」
そんな会話が、自分の中にまだ生きている。
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2012/11/09
風の画家
今回は、風の画家について書きたい。
風の画家は、
基本的に自由人だから
室内に閉じこもって絵を描くなんて
あまり好きじゃないかもしれない。
じゃあ、戸外で描こうといっても
外だと、絵筆を持って紙に向かうなんて気持ちにはなれない。
風の中を走っていたいのだ。
そんな画家の想いとは裏腹に、
私は、彼の風を小さな紙に表現してもらいたいと願ってきた。
で、彼には申し訳ないが、
色鉛筆や綿棒やしっぽ筆、ローラー、型紙・・・
いろいろなものを使って紙に
カラダの奥から吹いてくる風や
小さな渦巻や
あらしのような大風を描いてもらってきた。
そして、
小学生のころから描きつづけてきた何万本もの線が
きっと彼の歩んでいく風の道を
作っていくのだろうと思うようになった。
いまはいろいろな風の重なりに、取り組んでいる。
重なりあった風は
深い声のようなものを出すんだということに
最近、私は気付いた。
想いを閉じ込めた描線は歌を歌うんだと、
いうことに気付いた。
彼の指先から生まれた風が
紙の上を走る時、
人生で大切な事を教えられているような気がする。
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