このホームページを一緒に作ってくれるCURIOUSのみなさんから、こんな部屋をいただいた。
「なにをかいてもいい」って言われ、「ホントにいいの!」ってもう一度聞いたら、
「もちろん!」と嬉しいお言葉。
ヤッター! つまんないことを書くかもしれないけれど、ぜひお友達を誘って遊びに来てくださいね。
2016/11/25
Vol.380 「湘南vividアート展/すべての表現よ、集まれ!」
冷え込んだ朝、窓辺に置いたカップからゆらゆらコーヒーの香りが立ちのぼっている。
机の上に伸びたカップと香りの絡み合った影。
見ているだけで身体が温まってくる、眠っていたものがくすぐられる、そんな短い文章が欲しかった。
ぼんやりした頭で、来年(2017年)5月の連休に開かれる第4回湘南vividアート展の応募呼びかけチラシの文案を考えていたのだ。
もうそんな季節になったのだ。
水滴の流れるガラス窓からは葉を落とした木立と薄青い空が見える。
この空がそのまま真冬の曇天に続いているんだと思うと、先行きの残っていない自分の人生を見ているような感傷にとらわれる。
口にコーヒーを含む。
過ぎ去ったいくつもの朝の苦さ、
何を待っていたのだろうと思う。
学生時代から、ずっとこんな風に背を丸め、たくさんの苦さにまみれながら待ち続けていたのだ。
そして、老いた今朝も待っている。
少しずつ、少しずつそれは近づいてきているのだと、明けがたの夢は知らせている。
たとえば鼓動。
聴力を失った耳にはそれが聴こえるのだ。
魂にふれる止むことのない鼓動。
凍った地中から暁に立ちのぼっていくドラムの響き、
私を誘う、そのリズム・・・
私は歩きだそうとしているのかもしれない、
私を縛り続けてきたものから、赤子のように這い出そうとしているのかもしれない。
来年の湘南vividアート展でもそんな呼び声、鼓動を持つ作品に出合いたいのだ。
どうか、訪れてほしい、
あるがままの生命のすがた、
脈動のしたたり・・・
そんなものを私たちに伝えてほしい。
すべての表現よ、集まれ!
*第四回湘南vividアート展は2017年5月1日から8日まで藤沢宿、蔵まえギャラリーで開かれます。
作品/作家/観客が創り出す不思議空間がお待ちしています。
2016/11/18
Vol.379 「ゆうきやよろこびが降る季節」
秋は空からいろいろなものが降ってくる。
黄葉した落ち葉と一緒に透きとおった陽ざしや風が降ってくる。
子どもたちの声やおばあちゃんのくしゃみ、どんぐりの落ちる音も降ってくる。
それから、すっかり忘れていた思い出や小さな勇気も降ってくる。
11月になって横浜の霧が丘にあるぷかぷか村に行くことが多くなった。
来年の1月の終わりに上演するぷかぷか村の仲間たちの演劇ワークショップに「アート屋わんど」の活動を生かせるように手伝ってほしいと村長の高崎さんから頼まれたのだ。
もう二十年以上も前になるけれど、東京の町田養護学校で高崎さんや黒テントの人たちと一緒に宮沢賢治の「蜘蛛となめくじとたぬき」をもとにした演劇ワークショップをやったことがある。
その時、ボクらに身体を動かし、声を出し、仲間たちと何度も話し合って、その時の気分にぴったりの物語を作っていく演劇ワークショップの楽しさを教えてくれたのが高崎さんだった。
生徒と教員という、どうしようもなくハードな関係性を越えて、見えないものに向かって一緒に手探りで進んでいく、わくわく感や自由感は新鮮だった。
その恩返しの気持ちもあって、ボクは快く高崎さんの依頼をお受けした。
ぷかぷか村は小さな丘の上の団地の中にあって、プラタナスの街路樹が美しい。
黄葉した葉がアート屋わんどの広場に降ってくる。
木の葉が目に見えない線を描くように風に舞うのを見ていると、生きててよかったなあという小さな勇気のようなものを感じたりする。
ぷかぷか村には、人や自分にも優しくなる不思議な種がいろいろな場所に埋められているような気がする。
ボクらが心を開いてさえいれば、そんな種の匂いや想いや言葉に触れることができる。
きのうもそうだった。
9月のアートワークショップ「2016秋コレ/ぷかぷかファッション」で仲間たちと制作したダンボールのモデルさんたちが演劇ワークショップに出演してもらうことになったのだ。
舞台で、仲間たちと一緒にタンゴやワルツを踊ろうというのだ。
ワークショップで作った多くの作品は保管するのが難しく、展示が終われば廃棄されることが宿命のようになっている。
でもぷかぷか村では彼らは仲間の一人として、暮らし始めたのだ。
チラシを切り貼りしただけのダンボール人形が名前を持ち、ひとりの人格のある女優さんとして仲間たちに受け入れてもらっている・・・なんてステキで柔軟な発想力なのだろう!
ボクはそのことに勇気をもらう。
プラタナスの落ち葉を踏み散らしながら、そんな村人たちと一緒にアートを楽しめることの幸せを噛みしめる。
*町田養護学校の演劇ワークショップについては『みんながいる、それがはじまり』というタイトルでアドバンテージサーバー社より刊行されています。機会があればご覧ください。
2016/11/11
Vol.378 「石の鳥」
11月の寒い午後、辻堂の押し入れに潜り込んで、昔描いた海辺のネコの絵を探した。
橋の上で、氷雨の降る海を見ている痩せた青いネコ。
日暮れに向けてどんどん色を失っていく冬の海辺がどんな表情をしていたのか、急に見たくなったのだ。
押し入れには古い本が山積みになっていて、F4のキャンバスに描かれた絵は本の間に挟まれているに違いない。
見たくなったら矢も盾もたまらず、腰をかがめて本を移動していると、突然固いものが足元に転がり出てきた。
15cmほどの黒みがかった灰色の小さな石。
叩くと硬い金属音がする。
学名、サヌカイト。
ボクの生まれたところでは「カンカン石」と呼んでいる。
瀬戸内海を見おろす丘陵の一角だけに産する石だ。
すっかり忘れていた。
東大の安田講堂が炎上した年、上京するためにミカン箱に本と一緒に詰めた石だった。
それ以来、一度も思い出すこともなかった。
下宿を転々とし、いくつもの仕事や生活、恋愛の挫折、転居・・・街を彷徨する自分の姿が浮かんできた。
そのたびに石はボクと離れることもなく流れてきたのだ。
そう考えると人生の伴侶のようにいとおしくなる。
石を手に取ると、鳥のような形に気づいた。
若い頃の自分の希望を閉ざしたままの形に見える。
その想いは解き放たれたのだろうか?
もちろんnon!である。
何を夢見ていたのか・・・はっきりとしたものさえ、いまのボクには残っていない。
鳥は飛ばねばならない。
飛ぶことで鳥であろうとする意志は形として実現されねばならない。
ボクは石を海側の出窓の鴨居にぶら下げる。
鳥のシルエットが、人生の残骸のように堆積した描き散らしの紙片や画材、壊れた彫像の上に浮かび上がる。
もう一度、石の鳥は飛ぶことができるのだろうか?
2016/11/04
Vol.377 「海辺のワークショップ/三つの流れ」
10月の終わりの雨の日、湘南海岸近くの太陽の家で絵本制作ワークショップをやった。
生活支援サービスを利用している仲間たちや就学前の小さな仲間たち、太陽の家の支援スタッフや保育士さん、アートや絵本に関心を持って地域から参加している仲間たちなど18名が集まってきた。
今回で5回目。
参加するメンバーも定着してきて、それぞれの活動場所につくと黙々と自分の活動に集中していく。
とても自然な流れがそこにはあって、ボクは海に向かって流れるいくつもの小さな流れが合流し、海にそそいでいるような感じを持つ。
実際の活動は、教室ふたつ分くらいのスペースを3つに分け、小さな仲間たちは床に座り込んで全紙2枚分の大きな紙に海や砂浜や空を描いていく。
笑声をあげながら、刷毛やローラーで紙に身体を投げ出すようにして黄色や青の絵具を塗っていく。まるで色と遊んでいるような自由な空間がそこにはある。
真ん中のスペースでは大人の仲間たちがそれぞれの絵や文字や線や模様を描いていく。
それらは、絵本に出てくるキャラクターの一部になったり、砂浜の光や海の波動になったり、絵本の音やリズムを生み出していくとても大切な素材なのだ。
仲間たちのその時々の気持ちや息づかいが色とりどりのアルファベットや「いろはにほへと」、ゆらゆら線になって紙の上に積み重なっていく。
繊細で激しく、熱くて涼やか、深く濁りながら透明などこにもない紙が生まれていく。
3つ目のスペースでは、仲間たちの創りだしたそんな不思議な紙を素材にして、地域の仲間たちが絵本に出て来るキャラクター作りに取り組む。
不思議紙をびりびり破って、海辺でフラダンスをする海藻ダンサーをコラージュしたり、真っ青な空を飛んでいるトンビやベンチに座って日がな一日、わけの分からない詩を考えている猫詩人を作っていく。
絵本は場所だけを海辺に設定していて、ストーリーはあってないようなもの。
作りながらどんどん話の流れが変わっていくので、そのたびにキャラクターも変わっていく。
波打ち際を走る野良犬ランナーも最初は元気よく走っていたのが、疲れ切ったへとへとのランナーにしようということになって、舌をだらしなくあんぐりさせたり、ベンチの上でタップダンスを踊るどんぐりダンサーズを登場させたり、貝殻のぼさぼさの海藻髪を散髪するカニの理髪屋さんも登場させてみようよと、もう無茶ぶりの連続。
それでもみんな楽しそうに「これでどうだ!」と熱く取り組んでいる。
すごい仲間たちなのだ。
こんな3つの流れが合流し、一つの本流が生まれようとしている。
その流れの先にどんな物語りが生まれるのかは、誰にもわからない。
でも、この川は海に出てもさらに遠くに流れ続けていくのではないだろうか?
2016/10/28
Vol.376 「吹きわたる目」
突然、こんな画像が送られて来たらびっくりするよね?
枕もとの携帯が鳴ってメールを開くと、大きな目!
おお!
一気に目が覚める。
な、なな何なんだよ?
果物のようなあおいほっぺとあかいほっぺ
その上の点々は、ニキビなのか?
雨のようにも、陽ざしのようにも、風のようにも見える。
添付の文章に目を走らせる。
●ピカソと草間彌生の画集を観て、Yさん(じぶんのこと)の、自画像、
主人と喧嘩した夕方。です。
私、引越ししなければならず、調子悪いで~(絵文字)。
ふうん、またやっちゃったのか。
懲りない夫婦だねえ。
とすると、この点々は涙なのか?
この自画像は泣き顔なのか?
それにしても、たくましい。
あおとあかときいろのなみだは熱帯のスコールのようにあたたかく頬を濡らしている。
生きてるねえ。
目も口も眉も、ちゅうちょなく紙面からはみだしていて、
Yさんの描く想いはスケッチブックには収まりきらないくらい大きいのだろう。
で、ボクは以下のような返信を送った。
■WAO ! 大胆!
力強いね。
絵がYさんを支えている!
するとすぐにメールが返ってきた。
●ありがとうございます。
N(こどものこと)がいなくなり、主人と喧嘩した夜、私には絵があった。
引越しも絵に支えられてがんばりたいです。
そうなんだよね。
思いのままに生きていけばいいんだ。
おおきな目だまやなみだが田野を吹く風のように、ボクの中にも吹き渡っていく。